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> お金は一次的なものに払われるのであって、二次的なものは本来無料なんですよね。
なぜ「本来」無料なのか全く説明になってない。ある情報を得るために調べたり試行錯誤を繰り返す労力と時間の代わりに、見合った金を払うというだけの話であり、それに形があろうがなかろうが全く関係はない。形にこだわるなら、音楽やゲームなどのコンテンツも同様だろうし。映画も別に形があるわけじゃない。それなのにこれらにお金を払う人間はなぜいるんだ?
例えば道を路上で聞いて、それに対し礼もいわず去っていく人間に対し、多くの人は礼儀に反すると感じると思うが、それはもちろん、その代償としてお礼をするのが妥当だと思ってる人が多いと考えたほうが自然だろう(その情報にそれ以上に価値があると思えばお金を払う人もいるかもしれないし、単に身の安全を確保したいだけの人もいるかもしれないが)。
もし情報は無料だから、という考えが妥当なら別に礼などしなくていいんじゃないか?
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物事のやり方は一つではない -- Perlな人
情報ってもともと無料です (スコア:1, 興味深い)
情報ってのは、かたちがないから。食べて栄養にもならないし、着ることもできない。寒さや暑さをしのぐこともできない。
「どこになにがあるか?」「どうやったら手に入るか?」が情報です。
つまり、情報とは「二次的」なものであって、「一次的」なものじゃない。
お金は一次的なものに払われるのであって、二次的なものは本来無料なんですよね。
情報とか知恵がお金にできたのは、要するに法律でそう決めたから、という以外の理由はありません。つまり、法律で決めていないものは、どう扱われても文句は言えない。
つまり、インターネットってのは、この「当たり前のこと」を「当たり前にした」だけのことなんですよね。
Re: (スコア:0)
> お金は一次的なものに払われるのであって、二次的なものは本来無料なんですよね。
なぜ「本来」無料なのか全く説明になってない。
ある情報を得るために調べたり試行錯誤を繰り返す労力と時間の代わりに、見合った金を払うというだけの話であり、それに形があろうがなかろうが全く関係はない。
形にこだわるなら、音楽やゲームなどのコンテンツも同様だろうし。映画も別に形があるわけじゃない。
それなのにこれらにお金を払う人間はなぜいるんだ?
例えば道を路上で聞いて、それに対し礼もいわず去っていく人間に対し、多くの人は礼儀に反すると感じると思うが、それはもちろん、その代償としてお礼をするのが妥当だと思ってる人が多いと考えたほうが自然だろう(その情報にそれ以上に価値があると思えばお金を払う人もいるかもしれないし、単に身の安全を確保したいだけの人もいるかもしれないが)。
もし情報は無料だから、という考えが妥当なら別に礼などしなくていいんじゃないか?