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口で喋っててもうまく伝えられない人はいっぱいいますけどね。あまり感情を表情やしぐさに出せない人も結構いるし。
# 口ベタなので ID (^_^;
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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
文字は感情が伝わらない (スコア:0)
なぜ文字が感情をうまく伝えられないのかといえば
リアルタイム性の欠如なのではないでしょうか。
実際メッセンジャーなどでは「***が入力中です。」
という情報にすら「気配」を感じることが出来ると思うのです。
Re:文字は感情が伝わらない (スコア:2, すばらしい洞察)
一般的に言語によるコミュニケーションにおいて、特に感情の伝達は、受け取り側によって独立した状態で新たに感情や情報が生成されることによって成立します。
(これを感情の伝達といわなければ、どうやって感情や情報を伝達するのでしょうか?)
それよりも問題なのは、というより正確には、普段使っている言語をそのまま文字化してしまうと、情報の多くが失われてしまうことにあるのでしょう。
Re:文字は感情が伝わらない (スコア:1)
正しくコミュニケーションが行われるには自分の解釈が相手の意図どおりであるかどうかを確認する必要がありますが、これは単に言語の問題だけでなく、相手の表情や仕草、声のトーン、自分に対する反応などの情報によっている部分も多分にあります。よく言ってること分からないけど変な顔してるから多分困ってるんだな、とか判断することはできるわけです。まあそこにも判断ミスは存在し得るわけですが。
文字オンリーのコミュニケーションでは、そういったコミュニケーションに関わる情報のうちの相当な部分が削られていることは意識しておいていいのかと思います。
補足 (スコア:1)
マスコミの論調なんかではどうもそう考えていないような感が ありますが。
Re:文字は感情が伝わらない (スコア:1)
> 受け取り側で生成された感情や情報が、送り側の意図したものである
> 保証はありません。
それ以前に、送り手が意図したものが送り手が書いたテキストに書かれて
いる保証もありません。そのことを理解していない全知全能者の方が、よ
ほど問題を起こします。
IN EARTH AND SKIE AND SEA STRANGE THYNGES THER BE.
Re:文字は感情が伝わらない (スコア:1)
口で喋っててもうまく伝えられない人はいっぱいいますけどね。あまり感情を表情やしぐさに出せない人も結構いるし。
# 口ベタなので ID (^_^;
むらちより/あい/をこめて。
Re:文字は感情が伝わらない (スコア:1)
ただ、判断する材料が多いほうが全体的に見れば誤解する 傾向が少ないのでは、と思うのですが、個別のケースそれぞれ についてまでこっちがいい、なんて言いきることはできない んでしょう。
当たり前の話かもしれませんが、チャネルがどうあれ最終的には送り手の表現力、受け手の理解力にかかっているんでしょうからね。
Re:文字は感情が伝わらない (スコア:1)
我々は相手の意図を「早とちり」することができますよね。相手の表現に対して最も容易に得られた推論結果を相手の意図であると我々は決めつけがちです。しかし、そもそも「最も容易に得られた推論結果」って、果たして解釈としては不適切なのでしょうか。食卓で誰かが「塩、取れる?」と聞いたとき、その直接の意味は「誰か(または、あなたは)そこにある塩を手に取ることができますか?」というものであるはず。しかし我々は通常、そこで「うん、取れるよ(^^)」とは返事をしない。そんな返事をしたら、ほぼ確実に相手は怒ります(^^;。じゃあなぜ怒るのか。それは、その表現に対して最も容易に得られる推論結果、すなわち「その塩、取ってほしいんだけど」といった解釈こそが表現された意図であると、お互いが自明に思っているからです。この「自明」ということが時々アテが外れて「早とちり」となるわけですが、しかし必ず「早とちり」であるわけではない。そのような「早とちり」は、我々が総当たり的な検証を通して解釈の「本当らしさ」を得ているのだとしたら一番疑わしい解釈であるはずなのに、むしろ我々はそれを最も「自明」な解釈、最も「本当らしい」解釈だと思っています。すなわち我々は日常のコミュニケーションにおいて、最も「早とちり」に近い解釈、相手が何かを伝えた時点で「最も容易に得られた推論結果」こそが最も適切な解釈であるかのように前提していることとなります。これは、とりもなおさず「受け取り側で生成された感情や情報が、送り側の意図したものである保証」が事後的な検証作業の繰り返しで相手の意図を確認するよりも先に存在していることを示しています。それは確実な「保証」ではありませんが、しかし一定範囲で信頼できる「保証」であり、それで不足だと思ったときにのみ我々は事後的な確認を行うのだと思います。
ちなみに、そうした「保証」は受け手が一方的に抱いているものではありません。受け手が一人で勝手に「保証」があるのだと思いこんでいるとしたら、上述の例で送り手が怒ったりするなんてありえません。送り手もそのような「保証」、発話時点での一定以上の意図了解の「保証」があると思っているからこそ、そこで怒るわけです。では、お互いが常にそうした「保証」があると前提しているのかといえば、それもまたありえない。もし「常に」誰も彼もそんな前提でいる、相手に対する最も容易な解釈が「常に」相手の意図なのだと全ての人がいつも前提しているのだとすれば、実際的に考えていただければ分かると思いますが、世の中の人間は全員「電波」になってしまう。ではそうした「保証」はコミュニケーションに関する限りでの「既成の暗黙のルール」なのか。それもありえません。なぜならそれでは、そもそもそのようなルール自体の伝達が不可能になるから。すなわち、ここでいう「保証」は受け手側に事前に存在せず、お互いの中に事前に存在するわけでもない。また、事後に存在したとしても発話時点での意図了解には用いられていない。したがって我々は送り手の発話時点において、同時にそうした「保証」を得ていることになります。
コミュニケーションにおいて送り側は直接の表現内容だけでなく、そうした「保証」、つまり表現に対して様々ありうる解釈の中で最も容易に推論できるところのものが送り手の意図したものであるという保証を、同時に伝えているのだと思います。それは受け手の立場からすれば、意図の推論が容易であるように(可能な限り)最も適切な表現が選択されているという保証でもあるので、その意味において「意図を伝えようとしているという意図」の伝達であるともいえます。すなわち意図伝達と並行してのメタ意図の伝達であり、それは日常では主として態度や表情、身体の動きといった非言語的な部分によって、文章でのコミュニケーションでは「書く」ということ自体や何をどのように書くかといったメタな部分によって伝達されます。前者においては送り手の意図伝達とそれ以外の単なる行動とを、まさに「保証」があるかどうか、「意図を伝えようとしているという意図」が感知できるかどうかによって見分けます。しかしそれでも行き違いはあって、なにか伝えているところのものに気が付かなかったり、たんなる何気ない様子を妙な具合に勘ぐったりもするわけです。そして後者においては伝達が間接的であるため、「保証」が一層弱く、不正確になる。一つの文章の中でもどの箇所がどのように「保証」されているのか、解釈に向けて最適化されているのかが伝わりにくい。要するに、どのあたりへの解釈を相手の意図であると判断すればいいのかがわかりにくい。ネットコミュニケーションの難しさは主としてこのあたりにあるんじゃないかと思うんです。