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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
時には (スコア:3, 興味深い)
#失敗学では失敗を認めないひとが重要視されるというのが新鮮でした.それにより,議論が深まるのだそうです.
ソフトウェア品質 - 失敗から学ぶには系統だった体系と右脳の活性化が重要 [mycom.co.jp]
「失敗学では自分のミスを認めない人が重要になる。"謝る"というのは社会の潤滑油として必要だが、終始しないこと。何となく一件落着し、原因究明が曖昧に終わってしまうので隠れた原因を突き止めることができない。これに対して、自分のミスを認めないことで口論が起こり、それが真相究明につながる」
右脳とか左脳とか (スコア:1)
口論じゃなにも解決しないよ。議論だろ、必要なのは。
屍体メモ [windy.cx]
Re: (スコア:3, 興味深い)
それをリンク先のオジサンは「口論」と称してる。
「議論」でもいいんだけどね。
日本人はとかく自分の罪を認めることを美徳としがちで、
業過で取り調べる側も特定の個人の過失を追求し、
それらの人の過失がなければ事故は起こらなかった、、、、という
結論に持っていきがち。
まあそれは刑事裁判の都合上仕方ないことではあるのだけどね。
しかし「本質安全」を旨とする失敗学では、「なぜそのような過失を起こすに至ったか」
「仮に過失があったとしても、それでも事故が起きないシステムがなぜできていなかったか」
を考える。
なので
Re:右脳とか左脳とか (スコア:0)
「右脳・左脳」を持ち出した理由はどこにいったの?
言い訳するのも、単に謝るだけというのも、そこから議論が逸れるという点では、同じくらいに馬鹿馬鹿しく、やってはいかんことだと思うんだ。