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> 教育と研究とは無関係です。
意外とそうでもない、と僕の指導教授は宣っておりました。知らない人(=学生)向けの講義ノート作成中に調べて気が付いた情報が結構役に立つとのことです。知ってる人(=論文査読者)向けの研究だったら調べなかったことが。
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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
大学教員に限るが (スコア:1, 興味深い)
当然「研究だけで教育はしない」という教員は論外だが、その一方で「教育はやるが研究はしない」という教員に何かを教えてもらいたいとは思わない。大学で教える事はいわゆる「教科書にない」部分も結構あるので、先生自身が日々努力している=研究している必要があると思う。できれば、自分の研究以外の事も勉強して教える教員がベストだけど、最低でも自分の専門分野の研究を真面目に、情熱を持っている教員に教えてもらいたい。
自分の経験を見返すと、やっぱり良い研究を行っている先生の講義は楽しかった。情熱をもって研究しているから、自然と講義もおもしろくなっていたんだと思う。逆に講義のおもしろくない先生は研究がパッとしなかった。なんか情熱と言うか楽しさが伝わって来なかった。
#大学院に入り周囲の先生の研究内容とその評価と授業の楽しさに一定の相関があったのが分かったが、大学生の時にはその相関は分からなかったけど。
研究業績がたいしたことないコネ採用と噂の先生の講義はまったくと言っていいほど楽しくなかった。何も出来ないのに偉そうに黒板の前で高説を述べているって感じで、教える科目に対する溢れ出す情熱とか、本筋の脇にある楽しい与太話もなくて、なんか不愉快な講義に近かったなぁ。。。
俺の経験が特殊かもしれないけど、やっぱり、大学に限って言えば授業のうまさという技術的なことはさておき、情熱とか知識の豊富さという「講義の楽しさ」と研究業績は関係すると思う。
だから、良い大学は良い研究者を教員として雇うのかなと最近思っているAC
Re:大学教員に限るが (スコア:1, 参考になる)
ただ、基礎教育に限って言えば、最前線で研究をしている人間に教わればよいというわけでもない。研究と基礎勉強はかなり異なります。過去に人が築きあげてきた学問を学ぶ楽しさと、新しいことを生み出す研究のためのスキルとは必ずしも等しくはないです。むしろ乖離していることの方が多い。無論、両方のスキルがないと偉大な研究者にはなれませんが。そういったわけで、学ぶ最終目標をどこにするのか?どのようなスキルを学生に付けさせるのか?で教育の姿勢、方法と求められる人材はかなり異なります。
誰がどのように教えるか?ではなく、何を教えるか?です。
どのような人材に育てるか?というビジョンです
大事なのは。
そういった意味で、教育をするということは、何がしかの哲学の元に学生にそれを叩き込むことでも有ります。特に大学の研究室などでは、極端なことを言えば「宗教団体と同じだ」とも言えます。哲学的な意味でですが。指導教官の指導哲学の元に学生を鍛えるのが大学の研究室だと思います。大学での学問・研究というのは、それほどシンプルに、これを学べば、これを覚えれば力つくと言ったものでもないですので。研究者によっては、同じ学問で同じことを話していても、大事とするところは、学んで欲しいところは全く異なります。
個人的な経験で言うと、いわゆる大学者の授業は難しいだけでたいていは面白く無いです。すごい先生だからというメタ情報が入っていると自然と熱意が入ってモチベーションが上がりますが、授業そのものはワケ分からんことのほうが多いです。むしろ、研究業績は微妙だけど、ひたすらコツコツと勉強して学者として鍛錬しているタイプの偏屈な先生のほうが、教育はうまいと感じます。わかりやすい。ただ、わかりやすい授業はわかった気になってしまうので、つまるところ自己鍛錬不足になりがちで、訳の解らん授業のほうが実は勉強になったりします。ようするに、大事なのは自己鍛錬に対するモチベーションです。教わってマスター出来るものはないです。教官とは一緒に議論するというスタンスが大切。学問は自己鍛錬で学ぶというスタンスが大事だと、個人的には思います。
小学生や中学生、高校生にとっては学問的な意味での教育というよりは、集団生活を学ぶとかそういった意味合いのほうが強いと思うので、教科教育より、人間教育の比率の方が強いと思う。それにはやはり、その手の専門の人が必要で、それは学術的な意味での研究者ではない。無論、学問をかじった人、研究をかじった人が教育をするメリットも有るし、そういう人材は、初等教育にもいるべきだとは思います。
Re: (スコア:0)
Re:大学教員に限るが (スコア:2, すばらしい洞察)
昨今の大学のレベルは落ちているという話はよく耳にしますが。
Re:大学教員に限るが (スコア:1, すばらしい洞察)
「教育内容」と「研究内容」は乖離しているかもしれないが、授業のときに、「ここで教える内容は現在こんな形になっている」とか「実はみんなに今日話した内容には一部問題あって、その問題がついこの前解けたんだよ」など自分の学んでいることが最前線に繋がっている事を教えてくれる教員が大学には必要だと思います。
子供ならまだしも成人に近い年齢の人間が無味乾燥な勉強をしてもおもしろくないし、意欲もわかない。でも、「おおこれが最前線につながるのか」とか「おお、これがあの技術の基礎なのか」と体験談に基づく話を聞くと意欲が沸いてきませんか?こんな「教科書にない」話を情熱を持って話せるのは研究をバリバリやっていて、最前線の研究内容に精通している教員でなければ無理なんだと思います。
よく「教育は技術だ」なんて言うけど,技術は練習で習得出来ます。だから研究やっているけど教育したことが無い先生は数年の訓練で教育ができるようになる可能性があると思います。でも情熱や、実体験に基づく知識、そして最前線で研究する能力は「教育だけしている教員」には絶対に真似できないし、訓練して体得できる物ではないと見ていて思いました。
やっぱり大学教員のもっとも重要な資質は「学問に対する情熱」と「研究能力」ではないかと、自分に影響したいろいろな先生たちをみていて思います。
#結局「教育がうまい」だけの先生の言葉って、その時は良いけど、後々残らないというか意味がないんですよね。
#あまり授業はうまくなくても、もがいて道を作っている先生の方の後ろ姿の方がなんか後から効いてきます。
Re: (スコア:0)
> 教育と研究とは無関係です。
意外とそうでもない、と僕の指導教授は宣っておりました。
知らない人(=学生)向けの講義ノート作成中に調べて気が付いた情報が結構役に立つとのことです。
知ってる人(=論文査読者)向けの研究だったら調べなかったことが。
Re: (スコア:0)
全てがそうだとは言えないけど、研究者として優秀なヤツの方が、そうでないヤツに比べると基本スペックは高いことが多い。なので、研究と教育のレベルは相関する(因果関係というより、基本スペックが高い→研究&教育が上手い、という疑似相関)。これが、まず一番大きな要因でしょう。
ただし研究を上手く進めていくためには、プレゼン能力も必要になります。研究に励めば励むほど、実