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盆・正月・クリスマス・冠婚葬祭など宗教に関わることは一切行いません。年賀状も同じですね。クリスマスカードみたいなものじゃないですか。オウム真理教や創価学会のようなところのイベントと同じだと思っています。人数が多くて伝統化しているだけで。心が弱くて縋りつきたい人間か騙されているか習慣から抜け出せない保守派か騒ぎたいだけでしょう。
葬式もやらないと?そりゃ、凄いというか、親族が気の毒です。
別ACですが、自分が先に死んだら葬式はしないでくれと親族には言ってあります。死んでから坊主に経を唱えてもらっても嬉しくも何ともないので。
まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のものですし、自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
> まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のものですし、> 自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
うつ病の原因のひとつとして挙げられるのは近親者の死です。それ以外にも一家の収入を担っていた人が死んだ場合、遺族は経済的に苦しむことになります。
通夜・葬式・初七日・四十九日・一周忌といったものは遺族がこのような苦難に面していないか親戚や死亡者の友人が実際に会って確認するための機会として設けられたものです。
世の中にはこのような儀礼をきっかけに遺族の精神あるいは物質的を察っすることができたならば助けとなって差し上げたいと考える人もいれば、その死が近親者にとってすらどのような意味においても痛痒を与えないことを自覚して無用なものと考える人もいるのです。
まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のもの。
というのが分かっているのであれば、葬式をするかしないかの判断は残されたものに委ねるべきではないでしょうか。 自分は自己満足は不要なので、「お前らが先に死んでも葬式はやらないぞ」というのなら分かりますが、 「自分が死んだら葬式はしないでくれ」というのは残されたものにとっては余計なお世話です。 オフトピなのでAC。
今年祖父の死に目に会って、その後葬式の見積もりなどにも立ち会いましたが、100万単位でお金がかかっていたので、残された親族への負担を考えると、自分が死んだ時には葬式やってほしくはないな、と思いました。
その理論で行くと遺言というシステムは無意味になるな。遺産分配なんかも、死んでるんだから知らん余計なお世話生きている俺たちに判断させろとなる。
もちろん死んでるから強行されても口出しはできないが。
>その理論で行くと遺言というシステムは無意味になるな。
結構、遺言って訴訟沙汰になって相手にされなかったとかもありますね。内容によっては、結構な割合で無視されたりとかね。
>もちろん死んでるから強行されても口出しはできないが。
死人は黙っているのが一番の様ですね。
葬式なんか遺族さんが満足のためにやるもんだったりしますね。○○葬でやってくれとかいった遺言も「そんな金ねぇ」とか「世間体がどうたら」とかで上手くいかなかった例もあったりする。
>遺産分配なんかも、死んでるんだから知らん余計なお世話生きている俺たちに判断させろとなる。
実際そんな感じな事も多く、嫌なものを沢山見る羽目になることもしばしばあります。遺言は指定の書式で正しく書きましょう。ただし、書いたとしても文句言う奴は言います。
現状として、自分が死んだときは遺産は自分の思い通りにしたいと思ってる人が多い。
遺言というシステムは、自分より先に死んだ人の遺産をその人の遺志に添って扱うことで、自分が死んだときにもそうしてくれるだろうという期待を持たせるためのもの、(そしてそれを国家権力により担保するためのもの)、つまりは生きている人たちのものということになります。
言うはこっちの勝手。やるやらんは残されたもんの勝手。
>自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。だからこう書いてるんでしょ。
願わくは、うちの親族が「余計なお世話」と感じるあなた程度には死人の遺志を尊重してくれんことを。
そういう儀式がないとズルズルと引きずってしまいがちだから、悲しんでいる人が悲しむことに切りを付ける儀式としては、葬式も悪いもんではないと思う。
#卒業式とか成人式みたいなもんかな。
中華圏は比較的そうです。儒教は生活習慣以上、宗教未満の存在ですから。
葬式って、亡くなった人のためじゃなくて、亡くなった人に対する心(悲しみ)にひと区切りつけるためにやる、残った人のための行事だって子供の頃に父方の祖母から聞いたので、葬式やらないことが、亡くなった人に悪いとは思いません…。うちの父親も同じ考えです。まあ、祖母が亡くなったときは葬式やりましたし、必要なことだとは思ってますが亡くなった人に気の毒だからやる、という考えはないですねぇ。
# 父は臓器提供には拒否感があるようで、母と私がドナー登録するときは# 家族署名をしてはくれましたが、父自身は登録しませんでした
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未知のハックに一心不乱に取り組んだ結果、私は自然の法則を変えてしまった -- あるハッカー
年賀状という (スコア:2, すばらしい洞察)
いつの時代に始まった習慣でしょうか?
元日についてもその数日後には職場で対面するんですよ?
気持ちが大事?私には虚礼、郵政省(会社)の需要掘り起こしとしか感じられません。
Re: (スコア:0)
盆・正月・クリスマス・冠婚葬祭など宗教に関わることは一切行いません。
年賀状も同じですね。クリスマスカードみたいなものじゃないですか。
オウム真理教や創価学会のようなところのイベントと同じだと思っています。
人数が多くて伝統化しているだけで。
心が弱くて縋りつきたい人間か騙されているか
習慣から抜け出せない保守派か騒ぎたいだけでしょう。
Re:年賀状という (スコア:0)
葬式もやらないと?そりゃ、凄いというか、親族が気の毒です。
Re: (スコア:0)
別ACですが、自分が先に死んだら葬式はしないでくれと親族には言ってあります。
死んでから坊主に経を唱えてもらっても嬉しくも何ともないので。
まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のものですし、自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
Re:年賀状という (スコア:2)
> まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のものですし、
> 自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
うつ病の原因のひとつとして挙げられるのは近親者の死です。
それ以外にも一家の収入を担っていた人が
死んだ場合、遺族は経済的に苦しむことになります。
通夜・葬式・初七日・四十九日・一周忌といったものは
遺族がこのような苦難に面していないか親戚や死亡者の
友人が実際に会って確認するための機会として設けられた
ものです。
世の中にはこのような儀礼をきっかけに遺族の精神あるいは
物質的を察っすることができたならば助けとなって差し上げたいと
考える人もいれば、その死が近親者にとってすらどのような
意味においても痛痒を与えないことを自覚して無用なものと
考える人もいるのです。
Re: (スコア:0)
まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のもの。
というのが分かっているのであれば、葬式をするかしないかの判断は残されたものに委ねるべきではないでしょうか。
自分は自己満足は不要なので、「お前らが先に死んでも葬式はやらないぞ」というのなら分かりますが、
「自分が死んだら葬式はしないでくれ」というのは残されたものにとっては余計なお世話です。
オフトピなのでAC。
Re:年賀状という (スコア:2)
今年祖父の死に目に会って、その後葬式の見積もりなどにも立ち会いましたが、
100万単位でお金がかかっていたので、残された親族への負担を考えると、自分が死んだ時には葬式やってほしくはないな、と思いました。
一人以外は全員敗者
それでもあきらめるより熱くなれ
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
その理論で行くと遺言というシステムは無意味になるな。
遺産分配なんかも、死んでるんだから知らん余計なお世話生きている俺たちに判断させろとなる。
もちろん死んでるから強行されても口出しはできないが。
Re:年賀状という (スコア:1)
>その理論で行くと遺言というシステムは無意味になるな。
結構、遺言って訴訟沙汰になって相手にされなかったとかもありますね。
内容によっては、結構な割合で無視されたりとかね。
>もちろん死んでるから強行されても口出しはできないが。
死人は黙っているのが一番の様ですね。
葬式なんか遺族さんが満足のためにやるもんだったりしますね。
○○葬でやってくれとかいった遺言も「そんな金ねぇ」とか「世間体がどうたら」とかで上手くいかなかった例もあったりする。
Re: (スコア:0)
>遺産分配なんかも、死んでるんだから知らん余計なお世話生きている俺たちに判断させろとなる。
実際そんな感じな事も多く、嫌なものを沢山見る羽目になることもしばしばあります。
遺言は指定の書式で正しく書きましょう。ただし、書いたとしても文句言う奴は言います。
Re: (スコア:0)
現状として、自分が死んだときは遺産は自分の思い通りにしたいと思ってる人が多い。
遺言というシステムは、自分より先に死んだ人の遺産をその人の遺志に添って扱うことで、
自分が死んだときにもそうしてくれるだろうという期待を持たせるためのもの、
(そしてそれを国家権力により担保するためのもの)、
つまりは生きている人たちのものということになります。
Re: (スコア:0)
言うはこっちの勝手。やるやらんは残されたもんの勝手。
>自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
だからこう書いてるんでしょ。
願わくは、うちの親族が「余計なお世話」と感じるあなた程度には死人の遺志を尊重してくれんことを。
Re: (スコア:0)
故人をしのぶことと宗教は切り分けられます。
もっとも、そんなこと出来るのは今のところ日本ぐらいでょうけど。
Re: (スコア:0)
そういう儀式がないとズルズルと引きずってしまいがちだから、悲しんでいる人が
悲しむことに切りを付ける儀式としては、葬式も悪いもんではないと思う。
#卒業式とか成人式みたいなもんかな。
Re: (スコア:0)
中華圏は比較的そうです。儒教は生活習慣以上、宗教未満の存在ですから。
Re: (スコア:0)
葬式って、亡くなった人のためじゃなくて、
亡くなった人に対する心(悲しみ)にひと区切りつけるためにやる、残った人のための行事だって
子供の頃に父方の祖母から聞いたので、葬式やらないことが、亡くなった人に悪いとは思いません…。
うちの父親も同じ考えです。
まあ、祖母が亡くなったときは葬式やりましたし、必要なことだとは思ってますが
亡くなった人に気の毒だからやる、という考えはないですねぇ。
# 父は臓器提供には拒否感があるようで、母と私がドナー登録するときは
# 家族署名をしてはくれましたが、父自身は登録しませんでした