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モード切替えが良くないということは同意しますが、 仮想デスクトップがそれに当たるか、という点には少し異義が あります。ただ、他の議論を見ていると、この見解は、 仮想デスクトップをどう使うかでわかれそうです。
「仮想デスクトップ便利派」は、ほぼ例外なく、 どの画面に何を置くかを日常的に決めているようです。 そして私の場合、各画面内でのウィンドウの配置もほぼ固定で、 それは画面ごとに異なります。したがって、 自分が今どの画面にいるのか=どのタスクを行っているのか、は、 敢えて意識しなくても「一目見ればわかる」のです。 また、仮想デスクトップ群の配置は、頭の中で 空間的に記憶されています。空間的な記憶は非常に強力で、 「何番目のデスクトップ」というのを思い出すのは若干 負担がありますが、「左上のデスクトップ」というのは 直感的です。キーボードショートカットを張ってあるので、 デスクトップ切替えは、頭の中に展開されている空間の特定の 箇所を一発で引っ張って来る、という感覚になります。
ただ、このようにタスク毎に画面配置がほぼ固定できる かどうかというのは、個人の仕事によって違いがあるでしょう。
「仮想デスクトップは混乱するよ」派とか 「Alt+TABでいいじゃん」派は、各仮想デスクトップの役割を 固定する、という考え方をしないようです。確かに、 各デスクトップに何をおいたのかを忘れて探すようでは、 Alt+TABと同じです。Alt+TABでは出てくるアプリの順番が 履歴によって変化するので、常に「探す」モードでいなければ なりません。(タスクバーによる切替えでも、マウスに手を 伸ばしてうろうろ…)。ちらかった机の書類を毎回ひっくりかえして 探しものをするようで、大変な心理的負担があります。 (私はひとつのデスクトップ内ではAlt+TABによるウィンドウ 選択を使うこともあります。一つのデスクトップ内では ウィンドウの数が2~3枚が普通なので、切替えに手間があまり かかりません。それでも、常に今どのウィンドウが選択 されているかを判断しなければならないので負担ですが)。
提案されているズームインタフェースは、最初のうちは わかりやすそうですが、いちいちズームアウト/ズームインして 目的のアプリに到達するのがまどろっこしくてやってられなく なりそうです。私が理想と思うのは、上記の 「各デスクトップの頭の中の空間的配置」がそのまま空間的 配置として直接見えるインタフェース、たとえば半球ドーム型の ディスプレイ内に自分が入って、正面はEmacs、右を向いたら ブラウザ、上を向いたらメッセンジャー、みたいなものです。
で、歩くことってのは、ディスプレイでいえばズーム型なんだと思います。 ドームとズームは、必然的に組み合わされるんじゃないかなあ?
うん、組合せはありだと思う。ズームを飛び越して、特定の場所に 一瞬で飛べる(テ
それでも「3日前の自分は他人」なので、自分が作ったシオリであるにも関わらず、 あとで戸惑うことは、無いわけじゃなさそう。
ああ、多分、ここが仮想デスクトップ派とそうでない派の 決定的な違いかと。(そして、平行線をたどる議論の背景には、 その前提の違いがあるような)。
私の仮想デスクトップの配置は数年来変わってないです。 (仕事の内容は変化していますが、その都度優先度に応じて 若干調整するだけで、スタイルは大きな変化なし)。 なので、どこに何をおいたか迷うことが「全くない」のです。 たまに違うデスクトップにアプリケー
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身近な人の偉大さは半減する -- あるアレゲ人
「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:1, 興味深い)
仮想デスクトップの「切り替え」インタフェースはまさに自分がどの画面に意識している必要があるモードになってしまいます。どこに何をおいたか忘れたら、全部のデスクトップを切り替えて探すことになるでしょう。仮想デスクトッ
Re:「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:1, 興味深い)
モード切替えが良くないということは同意しますが、 仮想デスクトップがそれに当たるか、という点には少し異義が あります。ただ、他の議論を見ていると、この見解は、 仮想デスクトップをどう使うかでわかれそうです。
「仮想デスクトップ便利派」は、ほぼ例外なく、 どの画面に何を置くかを日常的に決めているようです。 そして私の場合、各画面内でのウィンドウの配置もほぼ固定で、 それは画面ごとに異なります。したがって、 自分が今どの画面にいるのか=どのタスクを行っているのか、は、 敢えて意識しなくても「一目見ればわかる」のです。 また、仮想デスクトップ群の配置は、頭の中で 空間的に記憶されています。空間的な記憶は非常に強力で、 「何番目のデスクトップ」というのを思い出すのは若干 負担がありますが、「左上のデスクトップ」というのは 直感的です。キーボードショートカットを張ってあるので、 デスクトップ切替えは、頭の中に展開されている空間の特定の 箇所を一発で引っ張って来る、という感覚になります。
ただ、このようにタスク毎に画面配置がほぼ固定できる かどうかというのは、個人の仕事によって違いがあるでしょう。
「仮想デスクトップは混乱するよ」派とか 「Alt+TABでいいじゃん」派は、各仮想デスクトップの役割を 固定する、という考え方をしないようです。確かに、 各デスクトップに何をおいたのかを忘れて探すようでは、 Alt+TABと同じです。Alt+TABでは出てくるアプリの順番が 履歴によって変化するので、常に「探す」モードでいなければ なりません。(タスクバーによる切替えでも、マウスに手を 伸ばしてうろうろ…)。ちらかった机の書類を毎回ひっくりかえして 探しものをするようで、大変な心理的負担があります。 (私はひとつのデスクトップ内ではAlt+TABによるウィンドウ 選択を使うこともあります。一つのデスクトップ内では ウィンドウの数が2~3枚が普通なので、切替えに手間があまり かかりません。それでも、常に今どのウィンドウが選択 されているかを判断しなければならないので負担ですが)。
提案されているズームインタフェースは、最初のうちは わかりやすそうですが、いちいちズームアウト/ズームインして 目的のアプリに到達するのがまどろっこしくてやってられなく なりそうです。私が理想と思うのは、上記の 「各デスクトップの頭の中の空間的配置」がそのまま空間的 配置として直接見えるインタフェース、たとえば半球ドーム型の ディスプレイ内に自分が入って、正面はEmacs、右を向いたら ブラウザ、上を向いたらメッセンジャー、みたいなものです。
Re:「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:1)
>置もほぼ固定で、それは画面ごとに異なります。
(中略)
>空間的な記憶は非常に強力で
ははぁ。「散らかってるのは、どこにナニが有るか自分じゃ判ってるから、却って良いのだ」という主張と同じ本質なのですね。
そういや、プロセスじゃなくファイル(?)の層の話として、
デスクトップに「アイコン」をどう並べる(or並べない)か?という人それぞれの好みの問題が
似ているのかも知れません。
俺は、プロセス(Window)はAlt-Tabおよび「使わない窓は直ちに消す」派なのですが、
そのぶん(かもしれない)、デスクトップのアイコンは「自分で覚えている場所に置く(つまり散らかす)」派です。
たぶん、散らかったアイコンを「必要なときだけ」DblClickすることでプロセス化する
(そして不要になったら終了する…それはつまりプロセスを「アイコンに戻している(ファイルに情報をSaveする)」ことに相当する操作である)、
ということを俺はやってるんだと思います。
#そういう人、俺のほかにも居ますか?(^^;
今ふと思ったんだけど、プロセス(Window)も、
たとえばタイムスタンプでソート(^^;することが出来ると、いいんじゃないかなあ?
つまりプロセスも検索の対象にする。
つまりファイルと同じようなことを行なえるようにする、んです。
>(タスクバーによる切替えでも、マウスに手を伸ばしてうろうろ…)。
俺は作業はじめるときに、Windowの「立ち上げ順序」には気を配ります。
最初の窓はあの鯖へのTerminalだとか…ね。
あと、WinのTaskBarは、下じゃなく左に寄せてます。
これは、TaskBar上のTaskの「寸法」を一定に保つためです。
WinのTaskBarのTaskは、Barを上や下に置いたときには、「Taskの個数におおむね反比例」して小さくなりますが、
Barを左や右に置いたときは、固有の高さを保ち続けます。寸法が変化しないんです。
そうすると、「うろうろ」するときに、まだマシな動きをすることが出来ます。
>提案されているズームインタフェースは、最初のうちはわかりやすそうですが、
>いちいちズームアウト/ズームインして目的のアプリに到達するのがまどろっこしくてやってられなくなりそうです。
そっかなあ?ズームするためのUIさえ充分に優れていれば、
「連続的(無段階的)に」近づいたり遠のいたりできる表示は、
悪くないような気がするなあ。
>私が理想と思うのは、上記の「各デスクトップの頭の中の空間的配置」がそのまま空間的配置として直接見えるインタフェース、
>たとえば半球ドーム型のディスプレイ内に自分が入って、正面はEmacs、右を向いたらブラウザ、上を向いたらメッセンジャー、みたいなものです。
というか、ドーム型も、無数に有り得る頭の中の配置の1つでしかないでしょうね。
結局、全方位で、できれば3D(^^;の、つまり万能の画面があればそれでいいわけで。(無いけど。)
そういえば、こないだ誰かが言っていた、表示物がくるくる回るようなUI
(それを読んだ俺はそれを「走馬灯」と呼びましたが)は、良いかも知れません。
ところで、
ドーム型、つまり没入型の画面ってのは、結局はズーム画面と同じだと思います。
我々にとって最もリアルで身近な「表示」をエミュレートする没入型ですが、
視点が「同じ」位置にしか居ないなら、実の所、その画面の「広さ」は、
自分をアプリが取り囲んで一杯一杯になってしまったところで、終わりですよね。
で、リアルな我々が無限のモノを見ることが出来るのは、
視点がどんどん移動してるからです。(典型的にいえば、我々が風景の中を歩くからです。)
で、歩くことってのは、ディスプレイでいえばズーム型なんだと思います。
ドームとズームは、必然的に組み合わされるんじゃないかなあ?
つまり、見たいもののほうに歩いて(?)近づくと、その方向はズームインし、
一方背後の方向はズームアウトする、っていうことなんじゃないかな?
Re:「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:0)
うん、組合せはありだと思う。ズームを飛び越して、特定の場所に 一瞬で飛べる(テ
Re:「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:1)
>プラスでズーム機能があるの >は使い易そう。
テレポートってのは、本でいえば「しおり」みたいなもんなんでしょうね。
#デバッガでいえばブレークポイント(^^;
>(で、もとの話において、仮想デスクトップはそのテレポート機能だと思うんだけど。モード切替えじゃなくて。)
うーん。どうだろ?
テレポート自体が「モード」なんじゃないかなあ?
100%自分の意志でだけ飛び先を決めるという意味では、
お仕着せのモードよりはマシですが、
それでも「3日前の自分は他人」なので、自分が作ったシオリであるにも関わらず、
あとで戸惑うことは、無いわけじゃなさそう。
リアル(生身)のほうに目を向けると、たぶん、
「テレポートが無い(眠りでもしないかぎり、連続性が飛ぶことは無い)」のと、
「充分豊富な情報量を提供される(つまり情報量が"必要最低限"ではなくタップリ冗長である)ので、自分が今どこにいるかを確認しやすい」
ってあたりじゃないかなと。
行けども行けども似たような(人工的な)町並みだと道に迷うらしいですから、
PCの画面も、たとえば「全く同じ外観の窓枠は、二度と生成されない(必ず毎回微妙に違うようになる)」とかすれば
迷子にならずに済むんじゃなかろうか?
Re:「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:0)
ああ、多分、ここが仮想デスクトップ派とそうでない派の 決定的な違いかと。(そして、平行線をたどる議論の背景には、 その前提の違いがあるような)。
私の仮想デスクトップの配置は数年来変わってないです。 (仕事の内容は変化していますが、その都度優先度に応じて 若干調整するだけで、スタイルは大きな変化なし)。 なので、どこに何をおいたか迷うことが「全くない」のです。 たまに違うデスクトップにアプリケー
Re:「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:1)
ところで。
1:ログアウトして再度ログインするとき、どうするんですか?
やっぱり全部のアプリを立ち上げ直して、くいっと引っ張る作業を全部やるんですか?
あ、WMが前回の位置を覚えていてくれるんかな…
2:「同じアプリ」(プロセスインスタンス)が複数必要になったら、どうするんですか?
なんとなくUML1.xのシーケンス図の「オブジェクトが複数になったとき」を思い出すんですが、
やっぱり「同じアプリ」は同じ場所あたりに重ねて置いておくんでしょうか?
俺としては(つまり俺の使い方では)、上記の1や2は「動的に毎回変わるよ」なので、
場所ベースで扱うのはちょっと面倒だと感じています。
特にWindowの枚数が変化したりすると、どもならんって感じ。
そんなわけでAlt-Tab派ですねえ。
ちなみに1と2はどちらも、要するにWindowのオブジェクト性についての問題なんですけどね。
同じ窓の「クラス」は同じ場所に出るっていう感覚は何となくわかりますが、
同じクラスの窓の個数が増えたり減ったりすると(そしてそういうことは「よく有る」)、ちょっと戸惑わないのかな?と。
>「現実世界は連続」というのはその通りなのですが、例えばタッチタイピングをしている時、キーボードの配置は全く意識してませんよね。それと
>同じレベルで、何の仕事にはどこ、という配置が頭に入っています。
「仕事」かあ。
それはたぶん、「仕事」が「クラス」にマップされてる、っていう発想なのじゃないでしょうか?
俺は「仕事」は「オブジェクト」にマップされるんで、
個数が変化するなぁと捉えてまして、
そうするとキーボードのキーと違って、1機能1場所ではなく、1機能多場所になっちゃって、
しかも「多」の数が不定ってことになっちゃう。
余談ですが、だからMDIにするっていう発想は、俺は嫌いです。MDIが好きになれないんで。
Alt-Tabで「クラス」じゃなく「インスタンス」を切り替えるっていう感覚なのです。
あ。そういう意味ではタブブラウザも少々キツイなあ。
# MDIやタブでも、Alt-Tabで内容が切り替えられるなら、それでOKです。
#たしか Windowsの最近のOfficeは、そうなってましたよね。
てゆーか、まず「機能(仕事)」を探すっていう発想じゃないんですよね俺。
機能ってどうしてもクラス単位の発想であって、俺はそれに違和感を覚えてます。
まずインスタンスを(Alt-Tabで)探して、それからそのインスタンスにメッセージ(キーやマウス)を与えるっていうイメージかな。
そんなわけで、
>aを入力してから gを入力するまでs,d,fを通らなければならないようなインタフェース
まずインスタンスを選別する手順は不可避だと考えています。
これはマルチタスクになってしまった瞬間から、避けられない要件になってしまった事柄ですね。
そういや最近どこかで(ITmediaだったかな)、Macの窓UIはシングルタスク(1つの事柄に集中)にのみ向いたUIだ、
という話を聞いたような気が。それもたしか昔のMacに関わった人の口から。
1仕事1窓という構成(やMDI)は、OOPから遠のくという意味で、俺としては違和感に苛まれて嫌ですし。
Re:「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:0)
あなたが上げた意見(直感的という欺瞞、慣れが本当の無駄を忘れさせてしまうこと、ほんとうに使いやすい検索)はすべて踏まえられており、それぞ
Re:「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:1)
個人的にスクロールと、検索を伴うのなら使いたくないかな。
ワンクリックで切替えて使えるのなら、そちらの方が便利では?
設計思想うんぬんよりも、親しみやすい操作法の方が受けはいいかと?
Re:「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:1)
使いやすさと効率と分りやすさは必ずしも同じではない、初心者向けのUIと熟練者向けのUIは必ずしも一緒ではないということですね。
Re:「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:0)
このストーリーについてるコメント見てみろよ。大半が仮想デスクトップには親しみもしてないし受けも悪いね。
Re:「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:1)
いる様子ですが?
Re:「切り替え」こそが悪いインタフェース (スコア:1)
人間は普通の空間で生活していますから、2次元あるいは3次元のものの位置関係を覚えるのは得意です。 例えば普通、自分の本棚なら、「あの本ならたしか右上の方」とか覚えているでしょう。また、机の上が多少散らかっていても、「確かあの書類は左奥の方に置いたはず」と思って探ると、かなりの率で出てくることが多いと思います。つまり、人間にとって空間的関係は使いやすいインデックスなわけです。
GUI はまさしくそういう人間の認知の特徴を利用したインターフェースなわけです。異なるデスクトップやワークスペースが上下左右で連続しているような仮想デスクトップは、それを単に延長したとみれるので、まさにインターフェースとしてはモード変更などではなく、まさにモードを維持していると言えるのではないでしょうか?
たしかにズーム機能などがあればより理想に近いのかも知れませんが、それもあくまでそのズームを実現する適切な操作デバイスがあってこそです。昔、SGI の Window System では、それこそズーム機能のようなインターフェースがありましたが、ズームのためにスクロールバーのようなものを操作しないといけなかったので、イマイチ使いにくいという印象でした。
一方、仮想デスクトップでは、キーバインドをうまくすることで、その人の空間的移動にフィットさせることができ、完全とは言えませんがそこそこ統一感のとれた環境・インターフェースを実現できているのだと思います。