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私は悩みをリストアップし始めたが、そのあまりの長さにいやけがさし、何も考えないことにした。-- Robert C. Pike
実は (スコア:0)
小さい頃に地元方言の語尾の汚さがイヤで標準語ぽいのを使うようにしてました。
するとどうだろう。
東京で就職した時、皆に北海道出身と間違えられました。
北海道の言葉が標準語に近いと言う話をよく聞くのですが
明治維新前後のことを考えると、薩長付近の言葉が北海道に流れていったんじ
Re:実は (スコア:0)
「であります」
は、山県有朋が陸軍の言葉を長州弁にしようとした名残だと聞いたことがある。で、いま標準語として「であります」は残っていないことからもわかるように、必ずしも薩長の言葉が標準語のベースとはなり得なかったのではないかと。
一つの地方の言葉を100%ベースにしたら、多くの地方の人間が使う共通語とはなり得ないと思う。
現に、 バスガイドの独特の言い回しや、吉原の花魁の言葉(「ありんす」の他に今は、山手の奥様言葉として残っている「ざあます」なんかもそうらしい)というのは、どこの出身者にも通じるように意識的につくったものだそうだ。
そうなると、外交共通語としての江戸在勤の武家用語(おそらく最初は三河の言葉に京の言葉が混じった物)が(江戸っ子のベランメエ、とか「し」と「ひ」がひっくり返っている言葉とは別に)あったはずで、それが、山手の言葉となり、後にNHKが使い、「標準語」になったのでないかと。
北海道の言葉が標準語に近いというのは、全国から開拓民を受け入れた歴史の所為だと思う。
Re:実は (スコア:1)
山県有朋が意図的に長州弁にしようとした、という話は初めて聞きましたが、倒幕軍の中心に長州人が多かったこと、その後の明治政府中枢に長州人が多かったことから、意図せずとも普通に使われ、広まったと思うで「あります」。
長州人は、その政治好きな県民性もあり、長州閥は戦後も長い期間有力政治家を出し続けたの「であります」。
そのため、シチュエーションによっては今日でも普通に使われていると思って「おります」し、今後も使われ続けられると思っております。
ホントの「であります」はちょっともっと優してイントネーションですが、山口県でも古老しか使わない死語になりつつあるの「でぇぇあります」。
Re:実は (スコア:0)
ぶち壊す、ぶち殺すの「ぶち」
「打つ(ぶつ)」が変化した言葉と言われていますが、山口・広島の方言で
強調の意味を持つ「ぶち」があり、そこから流れたという説も支持し
Re:実は (スコア:0)
Re:実は (スコア:1)
開拓が本格的に始まったときには東京では既に標準語があり、方言の乱立でそれを使わなければ会話が成り立たない状況があったように感じる。
各開拓地の市町村と札幌にある道庁との連絡も方言では通じなかっただろうし。
これって、他の地域で自分が所属する藩の藩邸に出向いて、そこと言葉が通じないのでは困るのでそこに合わせるしかないみたいな感じだと思う。
国境で頻繁に国境が変わっている地域って、どっちの国にも緩やかに似ているよね。
あと、北海道って、各市町村で開拓に来た出身地域のなまりを含んでいるところも結構あるし、海岸部と内陸部でもかなり違う。
海岸部は本格的に開拓が始まる前から住んでいる奴がいて、本格的に開拓が始まってから住み始めた地域よりなまりが酷いです。
俺の母の父方の先祖は流れ着いた土着の漁師だったそうで、母が(戦後まもなくの頃だと思う)学校で習った歴史では「松前藩のある函館周辺しか倭人は住んでいない」と言われたので先生に聞いてみたら「教科書が正しいから、そこには倭人は住んでいない」みたいなことを言われたそうです。
倭人の集落(村?)も存在していたらしいです。「倭人の集落があるのに住んでいないわけない」みたいな事を聞いたことあります。
Re:実は (スコア:0)
Re:実は (スコア:0)
Re:実は (スコア:0)
# 西部警察も関係ない