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命の値段とは ?」記事へのコメント

  • by Anonymous Coward
    刑事補償法に定められているところでは、冤罪で死刑が執行された場合の補償金は3000万円+得べかりし利益
    また自賠責保険の死亡補償金も最高額3000万円だそうです。
    ということで、日本では命の値段は3000万円程度と考えられているようです。
    # 「得べかりし利益」があるので、民事訴訟の慰謝料は大幅に上がるようですが。
    • 誰もAmanda Benett さんの問いに答えようとしないのが残念なので、このへんにぶら下げてみる。

      BusinessWeekの記事は読むべきだと思う。とても重いけど。
      # When is it time to quit?(いつが潮時なの?)

      医療保険で戦い抜くときに考えることもなかった、アメリカにいる4600万人の無保険の人たち。
      6つの病院、4つの保険会社、医療健康保険制度、3人の腫瘍学者、そして外科医が何ヶ月も掛けて5000ページ以上の書類と格闘したこと。
      GDPの17%が医療費である中、最善を尽くしてなお事務処理に31%ものコストがかかってしまうこと。

      そして彼女の血を吐くようなメッセージ。

      I think had he known the costs, Terence would have objected to spending an amount
      equivalent to the cost of vaccine for nearly a quarter million children in developing countries. That's how he would have thought about it.

      But when I ask myself whether I would do it all again, the answer is―absolutely.

      # 彼がコストを知っていたなら、発展途上国25万の子供達へのワクチンと同じ費用を払うんだって事に、反対したと思う。
      # 彼がどう思うだろうってこと。
      # でも、また同じ事をするか自問しても答えはいつも同じ……絶対に。

      自分の大切な人のために、どこまでしていいのか。
      そのお金は、その労力は、他に向けなくても良いだろうか。

      親コメントにある「日本では3000万円程度」というのは一つの目安にはなると思う。
      そうしたとき、例えばAmandaさんは6年目に保険が打ち切られたとして、そういうもんだと諦めきれただろうか。
      統計グラフの端っこに現れる人たちをどうするのが良いのか。

      命の値段が、社会の中でどう釣り合いを取っていくべきなのか
      どうにかなってしまう医療をどこかで見切りを付けるって言うことを、家族ではなく社会がして良いのかどうか。
      ブラックジャックの提示する「金や機会さえあれば助かったかも知れない」ではなく「金や機会はある。でもお前はもう充分」と言わなければならない社会がもう来てる。
      # 無限の財源があるわけではない……つまり、人の命をコストパフォーマンスという言葉でみなければいけない現実がある。

      死亡補償金と同程度までは保険でやっても良いよ、というのは、自分には納得しやすいかな。

      親コメント
      • by Anonymous Coward on 2010年03月10日 7時35分 (#1730491)
        "a quarter million children in developing countries"と自分の大切な人を比べることがナンセンス。
        自分たちの1秒の方が彼ら全部の一生よりもはるかに重要に決まってる。
        そんな欺瞞的な態度だから変なところで悩むことになるんだよ。
        親コメント
        • by Anonymous Coward
          他人の発言の揚げ足をとっているつもりで補強してしまうのもこの人の才能なんですかね。
      • by Anonymous Coward
        よーしパパ答えちゃうぞー。
        42ドルだ。
      • by Anonymous Coward
        彼女の苦悩は察するに余りますが、問題の立て方そのものが、悪く言えば欺瞞的というか。

        > どうにかなってしまう医療をどこかで見切りを付けるって言うことを、家族ではなく社会がして良いのかどうか。

        逆でしょう。社会は否応なく命の値段をつきつけてきますから、むしろ家族はそれに対抗しなければいけないと思います。
        • 社会は否応なく命の値段をつきつけてきますから、むしろ家族はそれに対抗しなければいけないと思います。

          御説御尤も。
          でも、その「しなければいけない」が問題じゃないかなあ。お金が有り余っているお金持ちならともかく、そうでないならね。
          もし自分がそういう病気になったら、家族に保険で支払われる以上の負担はして欲しくないな。先が長くないのならなおさら。

          最近、大伯父と話すことがあったんだけど、昔(先の大戦前後?)は、医者が「今晩が峠です」と言ったら、たいてい次の晩は通夜だったと。でも今は違う。一つには延命技術が向上したせいもあるんだろうけど、昔は医者が回復の見込みが無い患者を消極的に尊厳死させてたからじゃないか、と言ってた。もしかすると、無駄に苦しませないために積極的に死なせてたのかも、とも言っていた。今となっては本当かどうか確かめようがないけど、そんなこともあるかもしれないと思った。

          親コメント
          • by Anonymous Coward
            > でも、その「しなければいけない」が問題じゃないかなあ。お金が有り余っているお金持ちならともかく、そうでないならね。

            すみません。言葉が足りませんでした。

            わたしの主張は、家族は家族の命を考えるにあたって主体性を発揮しなければならないということです。
            お金がない、というは動かしがたい現実ですが、まさにそういう時にこそ主体性が必要されるのではないでしょうか。

            ストーリーの彼女がいつまでも苦悩し続けるのは、ひとえに「止めるべきは、いつなのだろうか」という一見客観的な問いの立て方そのものにあると思います。同一条件で何百回も実験すればわかるのかもしれませんけど。
            「わたしはどうすればよいのか」なら、命の値段など考えずにとっくに答えが出ていますね。。

※ただしPHPを除く -- あるAdmin

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