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職場はともかく、嫁も子供もできて家族というものを構え家族ぐるみの付き合いとか義理の親戚のつきあいとかも増えてくるとなかなかどうして年一回のリアルping+近況アップデート手段としては便利な習慣だと気づかされるんですけどね…。>年賀状
まったく同感です。
実は私もついこの間まで、年賀状不要派だったのですが、最近おじの死をきっかけに重要で便利な習慣だと思うようになりました。
死んだ叔父はずっと独り身で、仕事一筋だったのかちょっとした会社の役員までやったのですが、癌になり居住地を離れて療養している間にあれよあれよと悪くなり亡くなり、独り身だったこともあり、兄弟縁者相談の上、長男=私の父が喪主を勤めることなり、私の家で葬儀を行いました。というわけで、我が家から叔父に関係のある人たちに通知を出すことになったのですが、おじはあんまり交友関係や仕事のことを話すほうではなかったので、誰に伝えたらいいのか、まったくわかりません。そこで、思いついて年賀状を探したら、おじはちゃんと年賀状をやり取りしていたようで、おじにゆかりのある人や、お世話になった人などに死亡したことを伝えることができました。
叔父は実家でお墓もある私の家から、遠くの会社に勤めていたのですが、そんな遠くからもはがきを見て、お墓参りに来てくれる人がたくさんいて、故人を偲ぶことができ、また区切りもできて出してよかったと思います。
#実は内縁の思い人がいたことが発覚したり、運転手つきセンチュリーで横付け的な人がいたりと妙なこともありましたが…。
こういう経験をしてから、定期的なPingで情報を更新していく交友カード型データベースである年賀状は非常に優れていると思うようになりました。日本人ならたいていプロトコルをインストールされていますし。喪が明けたらまじめに出そうと思っています。
#とかいいながら、会社では原則社員同士で年賀状のやり取りは行わないことになっているんで、ガンオタ仲間趣味の付き合いがある同僚以外出しませんけど。
結婚を機に再開というひとはけっこういる。
結婚式の案内で住所を確認する↓式にこられない人もいるので[結婚しました]の年賀状を送る (特に親戚)↓翌年は[子供生まれました]で年賀状↓毎年子供の成長を年賀状で報告↓いずれは[二人目が・・・]
と、なるらしい。
>リアルping
死活監視としては1年のインターバルでよいという実装ですね。喪中につき..とか、アラートがたまに上がってきますね。そういったアラートが上がってくるための監視設定の意味もあるのかもしれません。
確かに便利なのですが、誰が亡くなったのかまで書いていない場合がおおく、後で会っても聞きづらいことはたまにあります。
喪中ハガキも今年に来ていた友人の披露宴に父親が出席しておらず、「亡くなった?」と思っていたら不倫で離婚していたという難しい状況でした。それは聞きづらいよ。
>誰が亡くなったのかまで書いていない場合がおおく
そういえば、そういうのもありますね。祖母死去のためとか、明確なのが結構あるけど、誰が?レベルを記載しないのって、何か流儀でもあるのかな?
>「亡くなった?」と思っていたら不倫で離婚していたという難しい状況でした。>それは聞きづらいよ。
相手も言いづらいでしょうね..w
出来合いのテンプレを使うとして、その部分はいろいろ各家の事情があってテンプレ化しにくいのでテンプレ文面中に書いてなくて、うっかりそのまま出したものと推定。
実家のある街から、転勤で離れた兄弟がいますが、転勤直後に子供が出来たのがわかりまして。現地に近い親族と交流してるのを聞くと、やはり家族(親戚)は有難いものだなと思います。
#自分も寝てたベビーベッドを届けてきたのでIDで。
>いつの時代に始まった習慣でしょうか?
新年慶賀は、そうとう昔からあるみたいですよ。暦が成立した当初からあった模様です。
そして、紙でそういったものを配布/提示したりするのは、平安の時代からありましたね。
送ったこと無い相手に出すのは結構億劫ですが、戯れと思って出してみてはどうでしょうか。年賀状送るだけで結構印象が違いますよ!
まぁ、日本郵政の年賀状ノルマとか噂を聞いてるとゲンナリする気持ちはわかりますが。
郵便の収益構造は年賀にかなり依存してる部分はあるのですが、eMailの普及で年賀が半減する、といった大方の予想よりは減ってない印象です。個人人脈に対する年に一度のpingツールとして結構使われているようです。年賀状ソフトが個人の人脈DBになっちゃってますから。
というわけで赤バイクの外勤にお声をおかけくだされば超特急で持参いたします。お引き合いがあれば営業をお伺いさせます。ビジネスでお使いならば年賀状の下を名刺の大きさに区切って今年の名刺を印刷するという使い方もありますとご提案いたします。また、ゆうメール(冊子小包)やエリアマーケティング(X丁目全戸に配達する)タウンメールも年賀扱いが可能です。オリジナルな切手、通常表示できない表面の切手部分や下部に独自の広告を配置できるオリジナル年賀状も承っております皆様におかれましてはぜひ、ご検討を。個人の方にはオリジナル切手サービスが一押しです。(ここまで営業モード)
#どっちかというと佐川の差し出し代行が地味に効いてますね。対抗して事業会社でも代行始めましたが
それよりも分割民営化でノルマがきついのなんの。局会社はやる気がまったくといって良いほどないし。お客さんとの直接接点がない事業会社の内勤に課されたノルマの一例
役職:12,000総務:10,000代理:7,000ヒラ:5,000契約:3,000短時間:1,500バイト:500
どうやって捌けと。繰り返しますが、お客さんとの接点がほぼないに等しい内勤の区分機を動かしたり仕分けをする社員(=労務者)のノルマが25万円。しかも営業活動は時間外でやれ、ほかにもふるさとゆうパックノルマも。
金券ショップ自爆や窓口書き損じ自爆が後を絶たないわけだ。しかも広島の亀がいらんことをして600億赤字を出した挙句日通の車とか警備とか押し付けられて出入りの業者が思いっきり削減。出入りの業者にお願いするのも難しくなりました。
なので、集配支店はノルマをぎりぎり達成も(赤バイクの外勤がいるからな)、区分集中支店のノルマ前年比85%という散々な結果に。トラックの運ちゃん個人にまで営業をかける輸送課発着担当者。もう馬鹿かとアホかと。
内勤のライン工なんて人格に問題がある連中に人脈営業なんてできるわけないじゃないですか。せいぜいパチンコ屋の店員に注文用紙を配るのが関の山でございます。(なので外勤がパチンコ屋に営業かけるの禁止ね)
ノルマの話を身内から聞いてて思ったのは、ハガキ渡されるのではなく一度買わされるの酷い…
数千枚取って来て下手すれば数十万一時的に自腹でその分入るの半月後とか時給で働いてる人には無茶すぎですよね。しかも成果報酬出るわけでも無いとか(査定は有る?)上司が自腹で商品券を渡しているとか涙出そうでした。
>元日についてもその数日後には職場で対面するんですよ?そして来月には、その職場をおさらばするかもしれない。
そんな人間関係の希薄な職場で、「年賀状出しますか?」とか言われてもピンと来ないよ。
むしろおさらばした職場の関係者に出すけどねw職場との別れが職場の知人との別れとイコールとは限らないわけで。
って感じかなぁ。
まあ自分はこの先結婚したり死んだりする予定は無いので
えーと不死の方ですか?# あえて無粋な突っ込み。ゴメンナサイゴメンナサイ。# 結婚する予定がこの先当分なさそうのは同様です。えぇ。
お察しのように、今日の年賀状習慣は旧逓信省のヒット商品ですね。むしろ年賀状によって(封筒ではなく)郵便はがきを出す習慣が定着したようです。だいたい「昔からの習慣」と呼ばれているものは明治以降に「作られたもの」と疑っていいかもしれません。
今日、年賀状配達数のピークが過ぎたといっても、2週間(実際は1週間ほど)で年間で取り扱う郵便はがきの15%強を処理するのだとか。クリスマスカードと違い in time でなく on time で届けないといけないのが、経営でも現場でも負担を大きくしている原因だとか。明治以来正月配達をうたっているので、郵便事業会社も慣習に囚われてなかなか変えられないとのことです。
年賀状時代は戦国時代には存在し、江戸時代には一般的になっていた習慣のようです。江戸後期には識字率も近代国家並みに向上していたわけですしね。今のように一人で何百枚も書いたり、毎日顔をあわせるような相手には送ったりしなかったでしょうけど。
国営の郵便事業が始まったのは明治3年のことですが、明治6年にはすでに年賀はがきが発売されていることからも、当時すでに一般的な習慣であったであろうことが伺えます。
>習慣そのものを否定します。
問に対する答えになってないなぁ
質問は、「出す?出さない?」であって「肯定?否定?」じゃないんだから。
で実際どうするの?上司部下同僚から届いても「数日後には職場で対面するから」と出さずに済むますの?
#もしかして例年一枚も来ない人だったらごめんね
とかいいつつ、来た年賀状を大事に取ってて「今年も送ってくれるかなぁ」とか思いつつ年末になると去年までの年賀状を取り出してきて眺め直すようなツンデレキャラを誰か描いてくれ
違うよ! 毎年俺のために年賀状書いてるんだけど、恥ずかしくて出せないんだよ!
そんなタイプの友人しかいないというのも、ちょっと哀しい状況だな。
盆・正月・クリスマス・冠婚葬祭など宗教に関わることは一切行いません。年賀状も同じですね。クリスマスカードみたいなものじゃないですか。オウム真理教や創価学会のようなところのイベントと同じだと思っています。人数が多くて伝統化しているだけで。心が弱くて縋りつきたい人間か騙されているか習慣から抜け出せない保守派か騒ぎたいだけでしょう。
葬式もやらないと?そりゃ、凄いというか、親族が気の毒です。
別ACですが、自分が先に死んだら葬式はしないでくれと親族には言ってあります。死んでから坊主に経を唱えてもらっても嬉しくも何ともないので。
まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のものですし、自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
> まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のものですし、> 自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
うつ病の原因のひとつとして挙げられるのは近親者の死です。それ以外にも一家の収入を担っていた人が死んだ場合、遺族は経済的に苦しむことになります。
通夜・葬式・初七日・四十九日・一周忌といったものは遺族がこのような苦難に面していないか親戚や死亡者の友人が実際に会って確認するための機会として設けられたものです。
世の中にはこのような儀礼をきっかけに遺族の精神あるいは物質的を察っすることができたならば助けとなって差し上げたいと考える人もいれば、その死が近親者にとってすらどのような意味においても痛痒を与えないことを自覚して無用なものと考える人もいるのです。
まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のもの。
というのが分かっているのであれば、葬式をするかしないかの判断は残されたものに委ねるべきではないでしょうか。 自分は自己満足は不要なので、「お前らが先に死んでも葬式はやらないぞ」というのなら分かりますが、 「自分が死んだら葬式はしないでくれ」というのは残されたものにとっては余計なお世話です。 オフトピなのでAC。
今年祖父の死に目に会って、その後葬式の見積もりなどにも立ち会いましたが、100万単位でお金がかかっていたので、残された親族への負担を考えると、自分が死んだ時には葬式やってほしくはないな、と思いました。
その理論で行くと遺言というシステムは無意味になるな。遺産分配なんかも、死んでるんだから知らん余計なお世話生きている俺たちに判断させろとなる。
もちろん死んでるから強行されても口出しはできないが。
>その理論で行くと遺言というシステムは無意味になるな。
結構、遺言って訴訟沙汰になって相手にされなかったとかもありますね。内容によっては、結構な割合で無視されたりとかね。
>もちろん死んでるから強行されても口出しはできないが。
死人は黙っているのが一番の様ですね。
葬式なんか遺族さんが満足のためにやるもんだったりしますね。○○葬でやってくれとかいった遺言も「そんな金ねぇ」とか「世間体がどうたら」とかで上手くいかなかった例もあったりする。
言うはこっちの勝手。やるやらんは残されたもんの勝手。
>自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。だからこう書いてるんでしょ。
願わくは、うちの親族が「余計なお世話」と感じるあなた程度には死人の遺志を尊重してくれんことを。
クリスマスがキリスト教とは関係なく祝われているのと同じですね。元は宗教的儀式だったから参加しないという考え方もあるだろうし、今はすでに単なるお祭とか季節の行事としてやるってのもありだろうな。
年賀状も、各宗教で新年を祝っているところがあるので、それを考えたら、それなり宗教的な使い方もあるから、一概に宗教と無関係とは言えないだろうな。
強いて言うなら、わたしは、自分が出したり受け取ったりは、宗教と賀状は無関係だと思っているけどね。
>すごい理論ですね。
当たり前のことなんだけど、やはりACさんレベルだと無理みたいですね。
まぁ暦の年始という日付や時刻を特別視する合理的根拠はないって話なんだと思います。今の暦にはキリスト教の影響が大きいですしね。
個人的にはそこまで無宗教について原理主義的に暮すのは却って疲れるだろうと思うのでやりませんが。宗教が合理的な判断・決定を大きく邪魔する状況ならともかく、現状の年始にはそれほど害はなく比較的利害中立的な慣習だと思うので。歴史的に過去の暦統一化の過程では苦難があったとしても、今となってはね。
記念日の類を一切認めないというさらにピュアな原理主義的生き方もあるかもしれないですが、そこまでいくと疲れるどころではなく社会生活を営むのが苦痛になってくるだろうし…。
>年始の挨拶周りが簡略化されて書状になった慣習ですよね。
年始回りとかって、結構宗教的な意味が「むかしは」あった。なんせ、時を司る神様とかいたそうだからね。しかし、それがいつのまにか書状ですまされてきて、さらに郵便ということになったわけで、宗教関係だということが見えない=宗教色が見えない=ないとするだけなのでしょう。
>出したい相手には喜んで出してますね。>出す量が少なくなるように努力はしている
出したい人を減らすという努力もあったりするのでは?
>個人的にはそこまで無宗教について原理主義的に暮すのは却って疲れるだろうと思うのでやりませんが。
実際、結構な数の風習が宗教起因だったり宗教に関連付けされていたりするからね。あと、何を宗教とするか?というと、日本の場合、「鰯の頭も信心」ですから、なんでも結びつけられちゃう。新しい宗教にいたっては、最近でてきたモノに霊がどうたらとか言い出す始末だし。
>比較的利害中立的な慣習だと思うので。
うん、そう思うよ、わたしもね。だけど、完全に宗教フリーというわけでもないわけで、宗教云々を嫌うお方には「じゃ、これも嫌わないとね」と親切で教えてあげる程度ですかね?
>記念日の類を一切認めないというさらにピュアな原理主義的生き方
そもそもキリスト教の神様の労働暦を元にした日曜日を認めないということになってしまいますから、大変な生き方だと思いますね。
歴史的に見た場合、古代においては科学、哲学、政治は宗教から分離してなかったでしょうからね。そして宗教も呪術の尾を引いてるし。なので起源をあまり原理主義的に追及してクリーンにしようとすると何も残らなくなる恐れもある。
>そして宗教も呪術の尾を引いてるし。
呪術というと、何か悪いことだけの様だけど、実はおまじないとか色々あるからね。
そういったのが一般化しちゃって、生活に入り込んで定着。でも、元の宗教じたいがそれらを見捨てたり、宗教の衰退もあったりで、慣習のみが残ったりとかね。
>なので起源をあまり原理主義的に追及してクリーンにしようとすると何も残らなくなる恐れもある。
そういう無駄なことをやっているお方には、「あれも宗教」「これも宗教」と教えてあげると、何もできなくなったりするので、面白いですよね。
宗教嫌いなお方は、以下の様なことはしないはずなので...
正月を祝うこと:暦自体、宗教的な要素がばんばん入っている。日曜を休みとすること;暦、しかもキリスト教結婚式を開くこと:婚姻は婚姻届けだけで成立するし、それらを広めるという意味は宗教的な側面から逃げられない。友前であってもね。葬式をやること:死亡届と死体の処理だけでよい。誕生日を祝うこと;え?宗教に関係した暦がたよりだよね?100周日とかきりがよい日にでもしたら?会社の創立記念もね。雛祭り/端午の節句/成人式/七夕祭/収穫祭といったお祭行事:宗教がバンバン関係している。墓をたてる/維持する:だめですよ..ww肉食:宗教的禁忌であったモノであり、これもある種、宗教関連になっている。性行為:いくつかの宗教では禁忌だし、いくつかの宗教では礼賛すべきこととされている。出産:いくつかの宗教では神が与えたものということになっている。
>人間以外の動物がしているかどうかだ。
ところが、動物の中には人間を真似たりするのもいたりするので、タチが悪い。
>つまり食事・性行為・出産は禁止だとか顔真っ赤にして言わなくていいんだ。
宗教を嫌うならそれらも嫌わないと辻褄が合わなくなっちゃうだけのことなんだけどね。自ら禁止せざるをえない様なことを言うと、あとで後悔するだけのことみたいだよ。
>休むというのは当たり前だがそれが七日周期になる場合もあるんじゃないの。
七曜という制度というかルールは結構昔からあるらしいね。キリスト教だけでなくユダヤ系とか、中国にもそれらしきものがあるからね。どうも、星関係でも、結構重要そうで、これは原初の天文学みたいなものからきているとかで、それはそれでどこまで宗教なのか?というのも調べてみると面白そう。
>その暦の中の定期的イベントが主に関係しているわけで。
後付けのも結構あったりするし、歴史的な記念日とかも結構あるからね。やっていたイベントに起因するのもあれば、イベントをやる様になった事柄を元にするのもあれば、伝承頼りもあれば、祝日作りたいのででっちあげたみたいなのもあるね。
>何か達成して祝うのならいいと思うが、記念日だから俺も祝おうと言うのは関係してそうだな。
サラダ記念日とか..ww
まぁ、つい先日300回忌(ウチはカンストしない慣習なんだそうで。)なんて法事に長男として顔を出してきたばっかりなので実感ありますwもっともここまで続くと私の個人的思想信条で止めちゃうのにはなんとなく抵抗を覚えるレベルの歴史的伝統行事になっちゃってますが。
>・いたる所を臓器移植>・医学の発展のために解剖
受け入れ拒否が結構ある。献体したところで、全身全部を使ってもらえるのはマレ。
>10万程度で済むキリスト教の方がましだな。
キリスト教系でも、それなりのお値段になることもあるからね。特に、墓は墓地をどこにするかで、結構差があるね。
元日についてもその数日後には職場で対面するんですよ?
数日後ならまだましなほうなのかもしれない…
まあ、一番いやなのは「いつ呼び出しがかかるか」と過ごす三が日かもしれないけど。
そうだよなー。
この業界だと、職場でトラブル対応しながら新年を迎える可能性だってあるんだし。
「あけましておめでとう。」「何がめでたいもんか。」「来年こそは家で新年を迎えたいですね。」
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犯人はmoriwaka -- Anonymous Coward
年賀状という (スコア:2, すばらしい洞察)
いつの時代に始まった習慣でしょうか?
元日についてもその数日後には職場で対面するんですよ?
気持ちが大事?私には虚礼、郵政省(会社)の需要掘り起こしとしか感じられません。
Re:年賀状という (スコア:5, すばらしい洞察)
職場はともかく、嫁も子供もできて家族というものを構え
家族ぐるみの付き合いとか義理の親戚のつきあいとかも増えてくると
なかなかどうして年一回のリアルping+近況アップデート手段としては
便利な習慣だと気づかされるんですけどね…。>年賀状
Re:年賀状という (スコア:4, 興味深い)
まったく同感です。
実は私もついこの間まで、年賀状不要派だったのですが、最近おじの死をきっかけに重要で便利な習慣だと思うようになりました。
死んだ叔父はずっと独り身で、仕事一筋だったのかちょっとした会社の役員までやったのですが、癌になり居住地を離れて療養している間にあれよあれよと悪くなり亡くなり、独り身だったこともあり、兄弟縁者相談の上、長男=私の父が喪主を勤めることなり、私の家で葬儀を行いました。
というわけで、我が家から叔父に関係のある人たちに通知を出すことになったのですが、おじはあんまり交友関係や仕事のことを話すほうではなかったので、誰に伝えたらいいのか、まったくわかりません。
そこで、思いついて年賀状を探したら、おじはちゃんと年賀状をやり取りしていたようで、おじにゆかりのある人や、お世話になった人などに死亡したことを伝えることができました。
叔父は実家でお墓もある私の家から、遠くの会社に勤めていたのですが、そんな遠くからもはがきを見て、お墓参りに来てくれる人がたくさんいて、故人を偲ぶことができ、また区切りもできて出してよかったと思います。
#実は内縁の思い人がいたことが発覚したり、運転手つきセンチュリーで横付け的な人がいたりと妙なこともありましたが…。
こういう経験をしてから、定期的なPingで情報を更新していく交友カード型データベースである年賀状は非常に優れていると思うようになりました。日本人ならたいていプロトコルをインストールされていますし。
喪が明けたらまじめに出そうと思っています。
#とかいいながら、会社では原則社員同士で年賀状のやり取りは行わないことになっているんで、
ガンオタ仲間趣味の付き合いがある同僚以外出しませんけど。Re:年賀状という (スコア:2)
結婚を機に再開というひとはけっこういる。
結婚式の案内で住所を確認する
↓
式にこられない人もいるので[結婚しました]の年賀状を送る (特に親戚)
↓
翌年は[子供生まれました]で年賀状
↓
毎年子供の成長を年賀状で報告
↓
いずれは[二人目が・・・]
と、なるらしい。
Re:年賀状という (スコア:2, 興味深い)
正月になってから、届いた年賀状に返事を書くくらいでした。
結婚を機に、式に来てくれた方やお祝いを頂いた方に出すようになりました。
仕事柄元旦から出社することもあるため、職場の方々とは年賀状が届く前に会うこともありますが特に気にしてはいません。
親戚の多くは冠婚葬祭くらいでしか会うことがなくなってきましたが、年賀状があると互いの状況がよく分かるというのは実感するようになりました。
読んではいないのですが、定年を迎えた男の悲哀を描いた渡辺淳一の近著『孤舟』で、届いた年賀状の数がガクッと減ったことに落胆するシーンがあるそうです。
そういうのを考えると、これまでお世話になって定年退職された方々への年賀状も止めづらいですね。
Re:年賀状という (スコア:1)
>リアルping
死活監視としては1年のインターバルでよいという実装ですね。
喪中につき..とか、アラートがたまに上がってきますね。
そういったアラートが上がってくるための監視設定の意味も
あるのかもしれません。
Re:年賀状という (スコア:1, 興味深い)
確かに便利なのですが、誰が亡くなったのかまで書いていない場合がおおく、
後で会っても聞きづらいことはたまにあります。
喪中ハガキも今年に来ていた友人の披露宴に父親が出席しておらず、
「亡くなった?」と思っていたら不倫で離婚していたという難しい状況でした。
それは聞きづらいよ。
Re:年賀状という (スコア:1)
>誰が亡くなったのかまで書いていない場合がおおく
そういえば、そういうのもありますね。
祖母死去のためとか、明確なのが結構あるけど、
誰が?レベルを記載しないのって、何か流儀でも
あるのかな?
>「亡くなった?」と思っていたら不倫で離婚していたという難しい状況でした。
>それは聞きづらいよ。
相手も言いづらいでしょうね..w
Re:年賀状という (スコア:1)
出来合いのテンプレを使うとして、
その部分はいろいろ各家の事情があってテンプレ化しにくいのでテンプレ文面中に書いてなくて、
うっかりそのまま出したものと推定。
Re:年賀状という (スコア:1)
実家のある街から、転勤で離れた兄弟がいますが、転勤直後に子供が出来たのがわかりまして。
現地に近い親族と交流してるのを聞くと、やはり家族(親戚)は有難いものだなと思います。
#自分も寝てたベビーベッドを届けてきたのでIDで。
#壮大なストーリ。空転するアイディア。
Re: (スコア:0)
私も全く同様です。
個人情報保護の流れだか、従業員名簿も公開版には住所詳細などが記載されなくなってしまったので、
普段のお付き合いが少ない部署の知人などに時節の便りを欠かすと私的な繋がりが途絶えてしまいますね。
まぁ、それをよしとするかどうかによるのでしょうけど。
そういうわけで、私は古式に則って年が明けてから賀状を書く習慣にしています。
仕事始めの後で賀状が届くこともありますが、それはそれ。
Re:年賀状という (スコア:3, 興味深い)
>いつの時代に始まった習慣でしょうか?
新年慶賀は、そうとう昔からあるみたいですよ。
暦が成立した当初からあった模様です。
そして、紙でそういったものを配布/提示したり
するのは、平安の時代からありましたね。
Re:年賀状という (スコア:1)
送ったこと無い相手に出すのは結構億劫ですが、戯れと思って出してみてはどうでしょうか。
年賀状送るだけで結構印象が違いますよ!
まぁ、日本郵政の年賀状ノルマとか噂を聞いてるとゲンナリする気持ちはわかりますが。
確かに物数は減ってますがそこまで落ち込んではないですねぇ (スコア:4, 興味深い)
郵便の収益構造は年賀にかなり依存してる部分はあるのですが、
eMailの普及で年賀が半減する、といった大方の予想よりは減ってない印象です。
個人人脈に対する年に一度のpingツールとして結構使われているようです。
年賀状ソフトが個人の人脈DBになっちゃってますから。
というわけで赤バイクの外勤にお声をおかけくだされば超特急で持参いたします。お引き合いがあれば営業をお伺いさせます。
ビジネスでお使いならば年賀状の下を名刺の大きさに区切って今年の名刺を印刷するという使い方もありますとご提案いたします。
また、ゆうメール(冊子小包)やエリアマーケティング(X丁目全戸に配達する)タウンメールも年賀扱いが可能です。
オリジナルな切手、通常表示できない表面の切手部分や下部に独自の広告を配置できるオリジナル年賀状も承っております
皆様におかれましてはぜひ、ご検討を。個人の方にはオリジナル切手サービスが一押しです。(ここまで営業モード)
#どっちかというと佐川の差し出し代行が地味に効いてますね。対抗して事業会社でも代行始めましたが
それよりも分割民営化でノルマがきついのなんの。局会社はやる気がまったくといって良いほどないし。
お客さんとの直接接点がない事業会社の内勤に課されたノルマの一例
役職:12,000
総務:10,000
代理:7,000
ヒラ:5,000
契約:3,000
短時間:1,500
バイト:500
どうやって捌けと。繰り返しますが、お客さんとの接点がほぼないに等しい内勤の
区分機を動かしたり仕分けをする社員(=労務者)のノルマが25万円。
しかも営業活動は時間外でやれ、ほかにもふるさとゆうパックノルマも。
金券ショップ自爆や窓口書き損じ自爆が後を絶たないわけだ。
しかも広島の亀がいらんことをして600億赤字を出した挙句日通の車とか警備とか押し付けられて
出入りの業者が思いっきり削減。出入りの業者にお願いするのも難しくなりました。
なので、集配支店はノルマをぎりぎり達成も(赤バイクの外勤がいるからな)、区分集中支店のノルマ前年比85%という散々な結果に。
トラックの運ちゃん個人にまで営業をかける輸送課発着担当者。もう馬鹿かとアホかと。
内勤のライン工なんて人格に問題がある連中に人脈営業なんてできるわけないじゃないですか。
せいぜいパチンコ屋の店員に注文用紙を配るのが関の山でございます。(なので外勤がパチンコ屋に営業かけるの禁止ね)
Re:確かに物数は減ってますがそこまで落ち込んではないですねぇ (スコア:1)
ノルマの話を身内から聞いてて思ったのは、
ハガキ渡されるのではなく一度買わされるの酷い…
数千枚取って来て下手すれば数十万一時的に自腹で
その分入るの半月後とか時給で働いてる人には無茶すぎですよね。
しかも成果報酬出るわけでも無いとか(査定は有る?)
上司が自腹で商品券を渡しているとか涙出そうでした。
Re:年賀状という (スコア:1)
>元日についてもその数日後には職場で対面するんですよ?
そして来月には、その職場をおさらばするかもしれない。
そんな人間関係の希薄な職場で、「年賀状出しますか?」とか言われてもピンと来ないよ。
Re:年賀状という (スコア:1)
むしろおさらばした職場の関係者に出すけどねw
職場との別れが職場の知人との別れとイコールとは限らないわけで。
って感じかなぁ。
Re:年賀状という (スコア:1)
何がしかのお金を包むことがあり、まあ自分はこの先結婚したり死んだりする予定は
無いので出て行く一方なのですが、そういうレベルでのお付き合いはしている以上
じゃあ年賀状も出せよとなるので、消極的ではありますが、出しています。
たぶん大企業だと取引先とか同じ部課内とかだけに出していればいいと思うのですが
中途半端に人数がいる中小企業だと全員に送らざるを得ず、なかなか痛い出費ではあります。
Re:年賀状という (スコア:3, おもしろおかしい)
まあ自分はこの先結婚したり死んだりする予定は無いので
えーと不死の方ですか?
# あえて無粋な突っ込み。ゴメンナサイゴメンナサイ。
# 結婚する予定がこの先当分なさそうのは同様です。えぇ。
Re:年賀状という (スコア:1, 参考になる)
お察しのように、今日の年賀状習慣は旧逓信省のヒット商品ですね。むしろ年賀状によって(封筒ではなく)郵便はがきを出す習慣が定着したようです。
だいたい「昔からの習慣」と呼ばれているものは明治以降に「作られたもの」と疑っていいかもしれません。
今日、年賀状配達数のピークが過ぎたといっても、2週間(実際は1週間ほど)で年間で取り扱う郵便はがきの15%強を処理するのだとか。
クリスマスカードと違い in time でなく on time で届けないといけないのが、経営でも現場でも負担を大きくしている原因だとか。明治以来正月配達をうたっているので、郵便事業会社も慣習に囚われてなかなか変えられないとのことです。
Re:年賀状という (スコア:1, 興味深い)
年賀状時代は戦国時代には存在し、江戸時代には一般的になっていた習慣のようです。江戸後期には識字率も近代国家並みに向上していたわけですしね。今のように一人で何百枚も書いたり、毎日顔をあわせるような相手には送ったりしなかったでしょうけど。
国営の郵便事業が始まったのは明治3年のことですが、明治6年にはすでに年賀はがきが発売されていることからも、当時すでに一般的な習慣であったであろうことが伺えます。
Re: (スコア:0, 荒らし)
>習慣そのものを否定します。
問に対する答えになってないなぁ
質問は、「出す?出さない?」であって「肯定?否定?」じゃないんだから。
で実際どうするの?
上司部下同僚から届いても「数日後には職場で対面するから」と出さずに済むますの?
#もしかして例年一枚も来ない人だったらごめんね
Re: (スコア:0)
いや、問そのものがナンセンスって云いたい訳よ。
年賀状にしろ、クリスマスにしろ、バレンタインにしろ、本来の
意義、習わしをすっかり忘れて完全に受益者の商業主義に乗ってしまっている訳でしょ?
まぁ、それを云ったら習慣なぞというものそのものの否定になってしまうのかもしれんが、
流行と一緒で義務ではないのだから、私はしません。という選択肢は挙げられるべき選択肢であり、
それに対する主張をすることもなんら制限されるところは無い。
>上司部下同僚から届いても「数日後には職場で対面するから」と出さずに済むますの?
済ますよ。
Re:年賀状という (スコア:1)
とかいいつつ、来た年賀状を大事に取ってて「今年も送ってくれるかなぁ」とか思いつつ年末になると去年までの年賀状を取り出してきて眺め直すようなツンデレキャラを誰か描いてくれ
1を聞いて0を知れ!
Re:年賀状という (スコア:1)
違うよ! 毎年俺のために年賀状書いてるんだけど、恥ずかしくて出せないんだよ!
1を聞いて0を知れ!
Re:年賀状という (スコア:1)
そんなタイプの友人しかいないというのも、ちょっと哀しい状況だな。
Re: (スコア:0)
出さない人です。
会った時にお礼を言う程度で。
(実家に帰ってたりするから、ポスト見るのが大抵出勤日前日ってのもあるけど)
Re: (スコア:0)
盆・正月・クリスマス・冠婚葬祭など宗教に関わることは一切行いません。
年賀状も同じですね。クリスマスカードみたいなものじゃないですか。
オウム真理教や創価学会のようなところのイベントと同じだと思っています。
人数が多くて伝統化しているだけで。
心が弱くて縋りつきたい人間か騙されているか
習慣から抜け出せない保守派か騒ぎたいだけでしょう。
Re: (スコア:0)
葬式もやらないと?そりゃ、凄いというか、親族が気の毒です。
Re: (スコア:0)
別ACですが、自分が先に死んだら葬式はしないでくれと親族には言ってあります。
死んでから坊主に経を唱えてもらっても嬉しくも何ともないので。
まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のものですし、自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
Re:年賀状という (スコア:2)
> まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のものですし、
> 自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
うつ病の原因のひとつとして挙げられるのは近親者の死です。
それ以外にも一家の収入を担っていた人が
死んだ場合、遺族は経済的に苦しむことになります。
通夜・葬式・初七日・四十九日・一周忌といったものは
遺族がこのような苦難に面していないか親戚や死亡者の
友人が実際に会って確認するための機会として設けられた
ものです。
世の中にはこのような儀礼をきっかけに遺族の精神あるいは
物質的を察っすることができたならば助けとなって差し上げたいと
考える人もいれば、その死が近親者にとってすらどのような
意味においても痛痒を与えないことを自覚して無用なものと
考える人もいるのです。
Re: (スコア:0)
まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のもの。
というのが分かっているのであれば、葬式をするかしないかの判断は残されたものに委ねるべきではないでしょうか。
自分は自己満足は不要なので、「お前らが先に死んでも葬式はやらないぞ」というのなら分かりますが、
「自分が死んだら葬式はしないでくれ」というのは残されたものにとっては余計なお世話です。
オフトピなのでAC。
Re:年賀状という (スコア:2)
今年祖父の死に目に会って、その後葬式の見積もりなどにも立ち会いましたが、
100万単位でお金がかかっていたので、残された親族への負担を考えると、自分が死んだ時には葬式やってほしくはないな、と思いました。
一人以外は全員敗者
それでもあきらめるより熱くなれ
Re: (スコア:0)
その理論で行くと遺言というシステムは無意味になるな。
遺産分配なんかも、死んでるんだから知らん余計なお世話生きている俺たちに判断させろとなる。
もちろん死んでるから強行されても口出しはできないが。
Re:年賀状という (スコア:1)
>その理論で行くと遺言というシステムは無意味になるな。
結構、遺言って訴訟沙汰になって相手にされなかったとかもありますね。
内容によっては、結構な割合で無視されたりとかね。
>もちろん死んでるから強行されても口出しはできないが。
死人は黙っているのが一番の様ですね。
葬式なんか遺族さんが満足のためにやるもんだったりしますね。
○○葬でやってくれとかいった遺言も「そんな金ねぇ」とか「世間体がどうたら」とかで上手くいかなかった例もあったりする。
Re: (スコア:0)
言うはこっちの勝手。やるやらんは残されたもんの勝手。
>自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
だからこう書いてるんでしょ。
願わくは、うちの親族が「余計なお世話」と感じるあなた程度には死人の遺志を尊重してくれんことを。
Re: (スコア:0)
故人をしのぶことと宗教は切り分けられます。
もっとも、そんなこと出来るのは今のところ日本ぐらいでょうけど。
Re: (スコア:0)
Re:年賀状という (スコア:1)
クリスマスがキリスト教とは関係なく祝われているのと同じですね。
元は宗教的儀式だったから参加しないという考え方もあるだろうし、
今はすでに単なるお祭とか季節の行事としてやるってのもありだろうな。
年賀状も、各宗教で新年を祝っているところがあるので、それを
考えたら、それなり宗教的な使い方もあるから、一概に宗教と
無関係とは言えないだろうな。
強いて言うなら、わたしは、自分が出したり受け取ったりは、
宗教と賀状は無関係だと思っているけどね。
Re:年賀状という (スコア:1)
>すごい理論ですね。
当たり前のことなんだけど、やはりACさんレベルだと無理みたいですね。
Re:年賀状という (スコア:1)
まぁ暦の年始という日付や時刻を特別視する合理的根拠はないって話なんだと思います。
今の暦にはキリスト教の影響が大きいですしね。
個人的にはそこまで無宗教について原理主義的に暮すのは却って疲れるだろうと思うのでやりませんが。
宗教が合理的な判断・決定を大きく邪魔する状況ならともかく、
現状の年始にはそれほど害はなく比較的利害中立的な慣習だと思うので。
歴史的に過去の暦統一化の過程では苦難があったとしても、今となってはね。
記念日の類を一切認めないというさらにピュアな原理主義的生き方もあるかもしれないですが、そこまでいくと疲れるどころではなく
社会生活を営むのが苦痛になってくるだろうし…。
Re:年賀状という (スコア:1)
>年始の挨拶周りが簡略化されて書状になった慣習ですよね。
年始回りとかって、結構宗教的な意味が「むかしは」あった。
なんせ、時を司る神様とかいたそうだからね。
しかし、それがいつのまにか書状ですまされてきて、
さらに郵便ということになったわけで、宗教関係だと
いうことが見えない=宗教色が見えない=ないとする
だけなのでしょう。
>出したい相手には喜んで出してますね。
>出す量が少なくなるように努力はしている
出したい人を減らすという努力もあったりするのでは?
Re:年賀状という (スコア:1)
>個人的にはそこまで無宗教について原理主義的に暮すのは却って疲れるだろうと思うのでやりませんが。
実際、結構な数の風習が宗教起因だったり宗教に関連付けされていたりするからね。
あと、何を宗教とするか?というと、日本の場合、「鰯の頭も信心」ですから、なんでも結びつけられちゃう。
新しい宗教にいたっては、最近でてきたモノに霊がどうたらとか言い出す始末だし。
>比較的利害中立的な慣習だと思うので。
うん、そう思うよ、わたしもね。
だけど、完全に宗教フリーというわけでもないわけで、
宗教云々を嫌うお方には「じゃ、これも嫌わないとね」
と親切で教えてあげる程度ですかね?
>記念日の類を一切認めないというさらにピュアな原理主義的生き方
そもそもキリスト教の神様の労働暦を元にした日曜日を認めないということになってしまいますから、大変な生き方だと思いますね。
Re:年賀状という (スコア:1)
歴史的に見た場合、古代においては科学、哲学、政治は宗教から分離してなかったでしょうからね。そして宗教も呪術の尾を引いてるし。
なので起源をあまり原理主義的に追及してクリーンにしようとすると何も残らなくなる恐れもある。
Re:年賀状という (スコア:1)
>そして宗教も呪術の尾を引いてるし。
呪術というと、何か悪いことだけの様だけど、実はおまじないとか色々あるからね。
そういったのが一般化しちゃって、生活に入り込んで定着。でも、元の宗教じたいがそれらを見捨てたり、宗教の衰退もあったりで、慣習のみが残ったりとかね。
>なので起源をあまり原理主義的に追及してクリーンにしようとすると何も残らなくなる恐れもある。
そういう無駄なことをやっているお方には、「あれも宗教」「これも宗教」と教えてあげると、何もできなくなったりするので、面白いですよね。
宗教嫌いなお方は、以下の様なことはしないはずなので...
正月を祝うこと:暦自体、宗教的な要素がばんばん入っている。
日曜を休みとすること;暦、しかもキリスト教
結婚式を開くこと:婚姻は婚姻届けだけで成立するし、それらを広めるという意味は宗教的な側面から逃げられない。友前であってもね。
葬式をやること:死亡届と死体の処理だけでよい。
誕生日を祝うこと;え?宗教に関係した暦がたよりだよね?100周日とかきりがよい日にでもしたら?会社の創立記念もね。
雛祭り/端午の節句/成人式/七夕祭/収穫祭といったお祭行事:宗教がバンバン関係している。
墓をたてる/維持する:だめですよ..ww
肉食:宗教的禁忌であったモノであり、これもある種、宗教関連になっている。
性行為:いくつかの宗教では禁忌だし、いくつかの宗教では礼賛すべきこととされている。
出産:いくつかの宗教では神が与えたものということになっている。
Re:年賀状という (スコア:1)
>人間以外の動物がしているかどうかだ。
ところが、動物の中には人間を真似たりするのもいたりするので、タチが悪い。
>つまり食事・性行為・出産は禁止だとか顔真っ赤にして言わなくていいんだ。
宗教を嫌うならそれらも嫌わないと辻褄が合わなくなっちゃうだけのことなんだけどね。
自ら禁止せざるをえない様なことを言うと、あとで後悔するだけのことみたいだよ。
>休むというのは当たり前だがそれが七日周期になる場合もあるんじゃないの。
七曜という制度というかルールは結構昔からあるらしいね。
キリスト教だけでなくユダヤ系とか、中国にもそれらしきものがあるからね。
どうも、星関係でも、結構重要そうで、これは原初の天文学みたいなものから
きているとかで、それはそれでどこまで宗教なのか?というのも調べてみると
面白そう。
>その暦の中の定期的イベントが主に関係しているわけで。
後付けのも結構あったりするし、歴史的な記念日とかも結構あるからね。
やっていたイベントに起因するのもあれば、イベントをやる様になった
事柄を元にするのもあれば、伝承頼りもあれば、祝日作りたいので
でっちあげたみたいなのもあるね。
>何か達成して祝うのならいいと思うが、記念日だから俺も祝おうと言うのは関係してそうだな。
サラダ記念日とか..ww
伝統行事のプレッシャー (スコア:1)
まぁ、つい先日300回忌(ウチはカンストしない慣習なんだそうで。)なんて法事に
長男として顔を出してきたばっかりなので実感ありますw
もっともここまで続くと私の個人的思想信条で止めちゃうのには
なんとなく抵抗を覚えるレベルの歴史的伝統行事になっちゃってますが。
Re:年賀状という (スコア:1)
>・いたる所を臓器移植
>・医学の発展のために解剖
受け入れ拒否が結構ある。
献体したところで、全身全部を使ってもらえるのはマレ。
>10万程度で済むキリスト教の方がましだな。
キリスト教系でも、それなりのお値段になることもあるからね。
特に、墓は墓地をどこにするかで、結構差があるね。
Re: (スコア:0)
数日後ならまだましなほうなのかもしれない…
まあ、一番いやなのは「いつ呼び出しがかかるか」と過ごす三が日かもしれないけど。
こんな正月はいやだ(Re:年賀状という) (スコア:5, おもしろおかしい)
そうだよなー。
この業界だと、職場でトラブル対応しながら新年を迎える可能性だってあるんだし。
「あけましておめでとう。」
「何がめでたいもんか。」
「来年こそは家で新年を迎えたいですね。」