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盆・正月・クリスマス・冠婚葬祭など宗教に関わることは一切行いません。年賀状も同じですね。クリスマスカードみたいなものじゃないですか。オウム真理教や創価学会のようなところのイベントと同じだと思っています。人数が多くて伝統化しているだけで。心が弱くて縋りつきたい人間か騙されているか習慣から抜け出せない保守派か騒ぎたいだけでしょう。
葬式もやらないと?そりゃ、凄いというか、親族が気の毒です。
別ACですが、自分が先に死んだら葬式はしないでくれと親族には言ってあります。死んでから坊主に経を唱えてもらっても嬉しくも何ともないので。
まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のものですし、自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
> まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のものですし、> 自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
うつ病の原因のひとつとして挙げられるのは近親者の死です。それ以外にも一家の収入を担っていた人が死んだ場合、遺族は経済的に苦しむことになります。
通夜・葬式・初七日・四十九日・一周忌といったものは遺族がこのような苦難に面していないか親戚や死亡者の友人が実際に会って確認するための機会として設けられたものです。
世の中にはこのような儀礼をきっかけに遺族の精神あるいは物質的を察っすることができたならば助けとなって差し上げたいと考える人もいれば、その死が近親者にとってすらどのような意味においても痛痒を与えないことを自覚して無用なものと考える人もいるのです。
まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のもの。
というのが分かっているのであれば、葬式をするかしないかの判断は残されたものに委ねるべきではないでしょうか。 自分は自己満足は不要なので、「お前らが先に死んでも葬式はやらないぞ」というのなら分かりますが、 「自分が死んだら葬式はしないでくれ」というのは残されたものにとっては余計なお世話です。 オフトピなのでAC。
今年祖父の死に目に会って、その後葬式の見積もりなどにも立ち会いましたが、100万単位でお金がかかっていたので、残された親族への負担を考えると、自分が死んだ時には葬式やってほしくはないな、と思いました。
その理論で行くと遺言というシステムは無意味になるな。遺産分配なんかも、死んでるんだから知らん余計なお世話生きている俺たちに判断させろとなる。
もちろん死んでるから強行されても口出しはできないが。
>その理論で行くと遺言というシステムは無意味になるな。
結構、遺言って訴訟沙汰になって相手にされなかったとかもありますね。内容によっては、結構な割合で無視されたりとかね。
>もちろん死んでるから強行されても口出しはできないが。
死人は黙っているのが一番の様ですね。
葬式なんか遺族さんが満足のためにやるもんだったりしますね。○○葬でやってくれとかいった遺言も「そんな金ねぇ」とか「世間体がどうたら」とかで上手くいかなかった例もあったりする。
>遺産分配なんかも、死んでるんだから知らん余計なお世話生きている俺たちに判断させろとなる。
実際そんな感じな事も多く、嫌なものを沢山見る羽目になることもしばしばあります。遺言は指定の書式で正しく書きましょう。ただし、書いたとしても文句言う奴は言います。
現状として、自分が死んだときは遺産は自分の思い通りにしたいと思ってる人が多い。
遺言というシステムは、自分より先に死んだ人の遺産をその人の遺志に添って扱うことで、自分が死んだときにもそうしてくれるだろうという期待を持たせるためのもの、(そしてそれを国家権力により担保するためのもの)、つまりは生きている人たちのものということになります。
言うはこっちの勝手。やるやらんは残されたもんの勝手。
>自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。だからこう書いてるんでしょ。
願わくは、うちの親族が「余計なお世話」と感じるあなた程度には死人の遺志を尊重してくれんことを。
そういう儀式がないとズルズルと引きずってしまいがちだから、悲しんでいる人が悲しむことに切りを付ける儀式としては、葬式も悪いもんではないと思う。
#卒業式とか成人式みたいなもんかな。
中華圏は比較的そうです。儒教は生活習慣以上、宗教未満の存在ですから。
葬式って、亡くなった人のためじゃなくて、亡くなった人に対する心(悲しみ)にひと区切りつけるためにやる、残った人のための行事だって子供の頃に父方の祖母から聞いたので、葬式やらないことが、亡くなった人に悪いとは思いません…。うちの父親も同じ考えです。まあ、祖母が亡くなったときは葬式やりましたし、必要なことだとは思ってますが亡くなった人に気の毒だからやる、という考えはないですねぇ。
# 父は臓器提供には拒否感があるようで、母と私がドナー登録するときは# 家族署名をしてはくれましたが、父自身は登録しませんでした
クリスマスがキリスト教とは関係なく祝われているのと同じですね。元は宗教的儀式だったから参加しないという考え方もあるだろうし、今はすでに単なるお祭とか季節の行事としてやるってのもありだろうな。
年賀状も、各宗教で新年を祝っているところがあるので、それを考えたら、それなり宗教的な使い方もあるから、一概に宗教と無関係とは言えないだろうな。
強いて言うなら、わたしは、自分が出したり受け取ったりは、宗教と賀状は無関係だと思っているけどね。
>すごい理論ですね。
当たり前のことなんだけど、やはりACさんレベルだと無理みたいですね。
>年賀状も、各宗教で新年を祝っているところがあるので、それを>考えたら、それなり宗教的な使い方もあるから、一概に宗教と>無関係とは言えないだろうな。
食事も、各宗教でお供えとして祭っている所があるので、それを考えたら、それなり宗教的な使い方もあるから、一概に宗教と無関係とは言えないだろうな。
…なんてね。(笑)
年賀状って元々は宗教とは関係無しに、年始の挨拶周りが簡略化されて書状になった慣習ですよね。そもそも宗教色なんかは無いと思いますけどね。
個人的には面倒くさいので、出す量が少なくなるように努力はしているものの、出したい相手には喜んで出してますね。
まぁ暦の年始という日付や時刻を特別視する合理的根拠はないって話なんだと思います。今の暦にはキリスト教の影響が大きいですしね。
個人的にはそこまで無宗教について原理主義的に暮すのは却って疲れるだろうと思うのでやりませんが。宗教が合理的な判断・決定を大きく邪魔する状況ならともかく、現状の年始にはそれほど害はなく比較的利害中立的な慣習だと思うので。歴史的に過去の暦統一化の過程では苦難があったとしても、今となってはね。
記念日の類を一切認めないというさらにピュアな原理主義的生き方もあるかもしれないですが、そこまでいくと疲れるどころではなく社会生活を営むのが苦痛になってくるだろうし…。
>年始の挨拶周りが簡略化されて書状になった慣習ですよね。
年始回りとかって、結構宗教的な意味が「むかしは」あった。なんせ、時を司る神様とかいたそうだからね。しかし、それがいつのまにか書状ですまされてきて、さらに郵便ということになったわけで、宗教関係だということが見えない=宗教色が見えない=ないとするだけなのでしょう。
>出したい相手には喜んで出してますね。>出す量が少なくなるように努力はしている
出したい人を減らすという努力もあったりするのでは?
>個人的にはそこまで無宗教について原理主義的に暮すのは却って疲れるだろうと思うのでやりませんが。
実際、結構な数の風習が宗教起因だったり宗教に関連付けされていたりするからね。あと、何を宗教とするか?というと、日本の場合、「鰯の頭も信心」ですから、なんでも結びつけられちゃう。新しい宗教にいたっては、最近でてきたモノに霊がどうたらとか言い出す始末だし。
>比較的利害中立的な慣習だと思うので。
うん、そう思うよ、わたしもね。だけど、完全に宗教フリーというわけでもないわけで、宗教云々を嫌うお方には「じゃ、これも嫌わないとね」と親切で教えてあげる程度ですかね?
>記念日の類を一切認めないというさらにピュアな原理主義的生き方
そもそもキリスト教の神様の労働暦を元にした日曜日を認めないということになってしまいますから、大変な生き方だと思いますね。
歴史的に見た場合、古代においては科学、哲学、政治は宗教から分離してなかったでしょうからね。そして宗教も呪術の尾を引いてるし。なので起源をあまり原理主義的に追及してクリーンにしようとすると何も残らなくなる恐れもある。
>そして宗教も呪術の尾を引いてるし。
呪術というと、何か悪いことだけの様だけど、実はおまじないとか色々あるからね。
そういったのが一般化しちゃって、生活に入り込んで定着。でも、元の宗教じたいがそれらを見捨てたり、宗教の衰退もあったりで、慣習のみが残ったりとかね。
>なので起源をあまり原理主義的に追及してクリーンにしようとすると何も残らなくなる恐れもある。
そういう無駄なことをやっているお方には、「あれも宗教」「これも宗教」と教えてあげると、何もできなくなったりするので、面白いですよね。
宗教嫌いなお方は、以下の様なことはしないはずなので...
正月を祝うこと:暦自体、宗教的な要素がばんばん入っている。日曜を休みとすること;暦、しかもキリスト教結婚式を開くこと:婚姻は婚姻届けだけで成立するし、それらを広めるという意味は宗教的な側面から逃げられない。友前であってもね。葬式をやること:死亡届と死体の処理だけでよい。誕生日を祝うこと;え?宗教に関係した暦がたよりだよね?100周日とかきりがよい日にでもしたら?会社の創立記念もね。雛祭り/端午の節句/成人式/七夕祭/収穫祭といったお祭行事:宗教がバンバン関係している。墓をたてる/維持する:だめですよ..ww肉食:宗教的禁忌であったモノであり、これもある種、宗教関連になっている。性行為:いくつかの宗教では禁忌だし、いくつかの宗教では礼賛すべきこととされている。出産:いくつかの宗教では神が与えたものということになっている。
簡単に宗教が関係しているか判断できる方法があるぞ。人間以外の動物がしているかどうかだ。それに小学生じゃないんだし宗教に入っている奴が息しているから俺もう息しーないっとなるわけじゃないのは分かるな。
つまり食事・性行為・出産は禁止だとか顔真っ赤にして言わなくていいんだ。それと疲れたら休むというのは当たり前だがそれが七日周期になる場合もあるんじゃないの。あとは科学的事実に基づく結果、地球の公転周期を元に年齢を数えるとか春夏秋冬に合わせた食事や服装の変化とかもあるだろう。暦=宗教じゃなく、作成起源が宗教でも事実を元にしていれば問題ないんじゃないかな。その暦の中の定期的イベントが主に関係しているわけで。何か達成して祝うのならいいと思うが、記念日だから俺も祝おうと言うのは関係してそうだな。
他は同意。
>人間以外の動物がしているかどうかだ。
ところが、動物の中には人間を真似たりするのもいたりするので、タチが悪い。
>つまり食事・性行為・出産は禁止だとか顔真っ赤にして言わなくていいんだ。
宗教を嫌うならそれらも嫌わないと辻褄が合わなくなっちゃうだけのことなんだけどね。自ら禁止せざるをえない様なことを言うと、あとで後悔するだけのことみたいだよ。
>休むというのは当たり前だがそれが七日周期になる場合もあるんじゃないの。
七曜という制度というかルールは結構昔からあるらしいね。キリスト教だけでなくユダヤ系とか、中国にもそれらしきものがあるからね。どうも、星関係でも、結構重要そうで、これは原初の天文学みたいなものからきているとかで、それはそれでどこまで宗教なのか?というのも調べてみると面白そう。
>その暦の中の定期的イベントが主に関係しているわけで。
後付けのも結構あったりするし、歴史的な記念日とかも結構あるからね。やっていたイベントに起因するのもあれば、イベントをやる様になった事柄を元にするのもあれば、伝承頼りもあれば、祝日作りたいのででっちあげたみたいなのもあるね。
>何か達成して祝うのならいいと思うが、記念日だから俺も祝おうと言うのは関係してそうだな。
サラダ記念日とか..ww
世の中にとっていい処分方法
・いたる所を臓器移植・医学の発展のために解剖・犯罪のときも解剖・焼いて骨にしないで食物連鎖に加わる・遺灰をまいて肥沃な土地を作る
少なくとも坊主丸儲けの何百万かかる葬式・墓・戒名は無駄。10万程度で済むキリスト教の方がましだな。
まぁ、つい先日300回忌(ウチはカンストしない慣習なんだそうで。)なんて法事に長男として顔を出してきたばっかりなので実感ありますwもっともここまで続くと私の個人的思想信条で止めちゃうのにはなんとなく抵抗を覚えるレベルの歴史的伝統行事になっちゃってますが。
>・いたる所を臓器移植>・医学の発展のために解剖
受け入れ拒否が結構ある。献体したところで、全身全部を使ってもらえるのはマレ。
>10万程度で済むキリスト教の方がましだな。
キリスト教系でも、それなりのお値段になることもあるからね。特に、墓は墓地をどこにするかで、結構差があるね。
草を大量に生やしてなぜ煽っているのか分からないが他人のやることに口を出して止めると書いてあるわけじゃなく自分のことだな。それとも冠婚葬祭の習慣を世界から撲滅するための活動家だと深読みしちゃったのかな^^
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犯人は巨人ファンでA型で眼鏡をかけている -- あるハッカー
年賀状という (スコア:2, すばらしい洞察)
いつの時代に始まった習慣でしょうか?
元日についてもその数日後には職場で対面するんですよ?
気持ちが大事?私には虚礼、郵政省(会社)の需要掘り起こしとしか感じられません。
Re:年賀状という (スコア:0)
盆・正月・クリスマス・冠婚葬祭など宗教に関わることは一切行いません。
年賀状も同じですね。クリスマスカードみたいなものじゃないですか。
オウム真理教や創価学会のようなところのイベントと同じだと思っています。
人数が多くて伝統化しているだけで。
心が弱くて縋りつきたい人間か騙されているか
習慣から抜け出せない保守派か騒ぎたいだけでしょう。
Re: (スコア:0)
葬式もやらないと?そりゃ、凄いというか、親族が気の毒です。
Re: (スコア:0)
別ACですが、自分が先に死んだら葬式はしないでくれと親族には言ってあります。
死んでから坊主に経を唱えてもらっても嬉しくも何ともないので。
まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のものですし、自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
Re:年賀状という (スコア:2)
> まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のものですし、
> 自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
うつ病の原因のひとつとして挙げられるのは近親者の死です。
それ以外にも一家の収入を担っていた人が
死んだ場合、遺族は経済的に苦しむことになります。
通夜・葬式・初七日・四十九日・一周忌といったものは
遺族がこのような苦難に面していないか親戚や死亡者の
友人が実際に会って確認するための機会として設けられた
ものです。
世の中にはこのような儀礼をきっかけに遺族の精神あるいは
物質的を察っすることができたならば助けとなって差し上げたいと
考える人もいれば、その死が近親者にとってすらどのような
意味においても痛痒を与えないことを自覚して無用なものと
考える人もいるのです。
Re: (スコア:0)
まあ葬式なんて所詮残された人間の自己満足の為のもの。
というのが分かっているのであれば、葬式をするかしないかの判断は残されたものに委ねるべきではないでしょうか。
自分は自己満足は不要なので、「お前らが先に死んでも葬式はやらないぞ」というのなら分かりますが、
「自分が死んだら葬式はしないでくれ」というのは残されたものにとっては余計なお世話です。
オフトピなのでAC。
Re:年賀状という (スコア:2)
今年祖父の死に目に会って、その後葬式の見積もりなどにも立ち会いましたが、
100万単位でお金がかかっていたので、残された親族への負担を考えると、自分が死んだ時には葬式やってほしくはないな、と思いました。
一人以外は全員敗者
それでもあきらめるより熱くなれ
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
その理論で行くと遺言というシステムは無意味になるな。
遺産分配なんかも、死んでるんだから知らん余計なお世話生きている俺たちに判断させろとなる。
もちろん死んでるから強行されても口出しはできないが。
Re:年賀状という (スコア:1)
>その理論で行くと遺言というシステムは無意味になるな。
結構、遺言って訴訟沙汰になって相手にされなかったとかもありますね。
内容によっては、結構な割合で無視されたりとかね。
>もちろん死んでるから強行されても口出しはできないが。
死人は黙っているのが一番の様ですね。
葬式なんか遺族さんが満足のためにやるもんだったりしますね。
○○葬でやってくれとかいった遺言も「そんな金ねぇ」とか「世間体がどうたら」とかで上手くいかなかった例もあったりする。
Re: (スコア:0)
>遺産分配なんかも、死んでるんだから知らん余計なお世話生きている俺たちに判断させろとなる。
実際そんな感じな事も多く、嫌なものを沢山見る羽目になることもしばしばあります。
遺言は指定の書式で正しく書きましょう。ただし、書いたとしても文句言う奴は言います。
Re: (スコア:0)
現状として、自分が死んだときは遺産は自分の思い通りにしたいと思ってる人が多い。
遺言というシステムは、自分より先に死んだ人の遺産をその人の遺志に添って扱うことで、
自分が死んだときにもそうしてくれるだろうという期待を持たせるためのもの、
(そしてそれを国家権力により担保するためのもの)、
つまりは生きている人たちのものということになります。
Re: (スコア:0)
言うはこっちの勝手。やるやらんは残されたもんの勝手。
>自分が死んでしまえば止めることも出来ないのですが。
だからこう書いてるんでしょ。
願わくは、うちの親族が「余計なお世話」と感じるあなた程度には死人の遺志を尊重してくれんことを。
Re: (スコア:0)
故人をしのぶことと宗教は切り分けられます。
もっとも、そんなこと出来るのは今のところ日本ぐらいでょうけど。
Re: (スコア:0)
そういう儀式がないとズルズルと引きずってしまいがちだから、悲しんでいる人が
悲しむことに切りを付ける儀式としては、葬式も悪いもんではないと思う。
#卒業式とか成人式みたいなもんかな。
Re: (スコア:0)
中華圏は比較的そうです。儒教は生活習慣以上、宗教未満の存在ですから。
Re: (スコア:0)
葬式って、亡くなった人のためじゃなくて、
亡くなった人に対する心(悲しみ)にひと区切りつけるためにやる、残った人のための行事だって
子供の頃に父方の祖母から聞いたので、葬式やらないことが、亡くなった人に悪いとは思いません…。
うちの父親も同じ考えです。
まあ、祖母が亡くなったときは葬式やりましたし、必要なことだとは思ってますが
亡くなった人に気の毒だからやる、という考えはないですねぇ。
# 父は臓器提供には拒否感があるようで、母と私がドナー登録するときは
# 家族署名をしてはくれましたが、父自身は登録しませんでした
Re: (スコア:0)
Re:年賀状という (スコア:1)
クリスマスがキリスト教とは関係なく祝われているのと同じですね。
元は宗教的儀式だったから参加しないという考え方もあるだろうし、
今はすでに単なるお祭とか季節の行事としてやるってのもありだろうな。
年賀状も、各宗教で新年を祝っているところがあるので、それを
考えたら、それなり宗教的な使い方もあるから、一概に宗教と
無関係とは言えないだろうな。
強いて言うなら、わたしは、自分が出したり受け取ったりは、
宗教と賀状は無関係だと思っているけどね。
Re: (スコア:0)
>考えたら、それなり宗教的な使い方もあるから、一概に宗教と
>無関係とは言えないだろうな。
すごい理論ですね。
まるで宗教のようです。
Re:年賀状という (スコア:1)
>すごい理論ですね。
当たり前のことなんだけど、やはりACさんレベルだと無理みたいですね。
Re: (スコア:0)
食事も、各宗教でお供えとして祭っている所があるので、それを
考えたら、それなり宗教的な使い方もあるから、一概に宗教と
無関係とは言えないだろうな。
…なんてね。(笑)
年賀状って元々は宗教とは関係無しに、年始の挨拶周りが簡略化されて書状になった慣習ですよね。
そもそも宗教色なんかは無いと思いますけどね。
個人的には面倒くさいので、出す量が少なくなるように努力はしているものの、出したい相手には喜んで出してますね。
Re:年賀状という (スコア:1)
まぁ暦の年始という日付や時刻を特別視する合理的根拠はないって話なんだと思います。
今の暦にはキリスト教の影響が大きいですしね。
個人的にはそこまで無宗教について原理主義的に暮すのは却って疲れるだろうと思うのでやりませんが。
宗教が合理的な判断・決定を大きく邪魔する状況ならともかく、
現状の年始にはそれほど害はなく比較的利害中立的な慣習だと思うので。
歴史的に過去の暦統一化の過程では苦難があったとしても、今となってはね。
記念日の類を一切認めないというさらにピュアな原理主義的生き方もあるかもしれないですが、そこまでいくと疲れるどころではなく
社会生活を営むのが苦痛になってくるだろうし…。
Re:年賀状という (スコア:1)
>年始の挨拶周りが簡略化されて書状になった慣習ですよね。
年始回りとかって、結構宗教的な意味が「むかしは」あった。
なんせ、時を司る神様とかいたそうだからね。
しかし、それがいつのまにか書状ですまされてきて、
さらに郵便ということになったわけで、宗教関係だと
いうことが見えない=宗教色が見えない=ないとする
だけなのでしょう。
>出したい相手には喜んで出してますね。
>出す量が少なくなるように努力はしている
出したい人を減らすという努力もあったりするのでは?
Re:年賀状という (スコア:1)
>個人的にはそこまで無宗教について原理主義的に暮すのは却って疲れるだろうと思うのでやりませんが。
実際、結構な数の風習が宗教起因だったり宗教に関連付けされていたりするからね。
あと、何を宗教とするか?というと、日本の場合、「鰯の頭も信心」ですから、なんでも結びつけられちゃう。
新しい宗教にいたっては、最近でてきたモノに霊がどうたらとか言い出す始末だし。
>比較的利害中立的な慣習だと思うので。
うん、そう思うよ、わたしもね。
だけど、完全に宗教フリーというわけでもないわけで、
宗教云々を嫌うお方には「じゃ、これも嫌わないとね」
と親切で教えてあげる程度ですかね?
>記念日の類を一切認めないというさらにピュアな原理主義的生き方
そもそもキリスト教の神様の労働暦を元にした日曜日を認めないということになってしまいますから、大変な生き方だと思いますね。
Re:年賀状という (スコア:1)
歴史的に見た場合、古代においては科学、哲学、政治は宗教から分離してなかったでしょうからね。そして宗教も呪術の尾を引いてるし。
なので起源をあまり原理主義的に追及してクリーンにしようとすると何も残らなくなる恐れもある。
Re:年賀状という (スコア:1)
>そして宗教も呪術の尾を引いてるし。
呪術というと、何か悪いことだけの様だけど、実はおまじないとか色々あるからね。
そういったのが一般化しちゃって、生活に入り込んで定着。でも、元の宗教じたいがそれらを見捨てたり、宗教の衰退もあったりで、慣習のみが残ったりとかね。
>なので起源をあまり原理主義的に追及してクリーンにしようとすると何も残らなくなる恐れもある。
そういう無駄なことをやっているお方には、「あれも宗教」「これも宗教」と教えてあげると、何もできなくなったりするので、面白いですよね。
宗教嫌いなお方は、以下の様なことはしないはずなので...
正月を祝うこと:暦自体、宗教的な要素がばんばん入っている。
日曜を休みとすること;暦、しかもキリスト教
結婚式を開くこと:婚姻は婚姻届けだけで成立するし、それらを広めるという意味は宗教的な側面から逃げられない。友前であってもね。
葬式をやること:死亡届と死体の処理だけでよい。
誕生日を祝うこと;え?宗教に関係した暦がたよりだよね?100周日とかきりがよい日にでもしたら?会社の創立記念もね。
雛祭り/端午の節句/成人式/七夕祭/収穫祭といったお祭行事:宗教がバンバン関係している。
墓をたてる/維持する:だめですよ..ww
肉食:宗教的禁忌であったモノであり、これもある種、宗教関連になっている。
性行為:いくつかの宗教では禁忌だし、いくつかの宗教では礼賛すべきこととされている。
出産:いくつかの宗教では神が与えたものということになっている。
Re: (スコア:0)
簡単に宗教が関係しているか判断できる方法があるぞ。
人間以外の動物がしているかどうかだ。
それに小学生じゃないんだし宗教に入っている奴が息しているから俺もう息しーないっとなるわけじゃないのは分かるな。
つまり食事・性行為・出産は禁止だとか顔真っ赤にして言わなくていいんだ。
それと疲れたら休むというのは当たり前だがそれが七日周期になる場合もあるんじゃないの。
あとは科学的事実に基づく結果、地球の公転周期を元に年齢を数えるとか
春夏秋冬に合わせた食事や服装の変化とかもあるだろう。
暦=宗教じゃなく、作成起源が宗教でも事実を元にしていれば問題ないんじゃないかな。
その暦の中の定期的イベントが主に関係しているわけで。
何か達成して祝うのならいいと思うが、記念日だから俺も祝おうと言うのは関係してそうだな。
他は同意。
Re:年賀状という (スコア:1)
>人間以外の動物がしているかどうかだ。
ところが、動物の中には人間を真似たりするのもいたりするので、タチが悪い。
>つまり食事・性行為・出産は禁止だとか顔真っ赤にして言わなくていいんだ。
宗教を嫌うならそれらも嫌わないと辻褄が合わなくなっちゃうだけのことなんだけどね。
自ら禁止せざるをえない様なことを言うと、あとで後悔するだけのことみたいだよ。
>休むというのは当たり前だがそれが七日周期になる場合もあるんじゃないの。
七曜という制度というかルールは結構昔からあるらしいね。
キリスト教だけでなくユダヤ系とか、中国にもそれらしきものがあるからね。
どうも、星関係でも、結構重要そうで、これは原初の天文学みたいなものから
きているとかで、それはそれでどこまで宗教なのか?というのも調べてみると
面白そう。
>その暦の中の定期的イベントが主に関係しているわけで。
後付けのも結構あったりするし、歴史的な記念日とかも結構あるからね。
やっていたイベントに起因するのもあれば、イベントをやる様になった
事柄を元にするのもあれば、伝承頼りもあれば、祝日作りたいので
でっちあげたみたいなのもあるね。
>何か達成して祝うのならいいと思うが、記念日だから俺も祝おうと言うのは関係してそうだな。
サラダ記念日とか..ww
Re: (スコア:0)
生前に、処理を引き受けてくれる団体に加入するなどして、後始末を考えておいてくれるといいのですが。
そうでないと、死体をどうするか。
火葬にする。
遺骨をどうするか。
墓に納めるしかない。
じゃあ葬式をするしかないか
ということになります。
この世の人ではないという区切りをつけるためにも、何か儀式は必要でしょうね。
感傷的にどうこうではなくて、ローンの支払いとか年金の処理とか、事務手続きで。
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
世の中にとっていい処分方法
・いたる所を臓器移植
・医学の発展のために解剖
・犯罪のときも解剖
・焼いて骨にしないで食物連鎖に加わる
・遺灰をまいて肥沃な土地を作る
少なくとも坊主丸儲けの何百万かかる葬式・墓・戒名は無駄。
10万程度で済むキリスト教の方がましだな。
伝統行事のプレッシャー (スコア:1)
まぁ、つい先日300回忌(ウチはカンストしない慣習なんだそうで。)なんて法事に
長男として顔を出してきたばっかりなので実感ありますw
もっともここまで続くと私の個人的思想信条で止めちゃうのには
なんとなく抵抗を覚えるレベルの歴史的伝統行事になっちゃってますが。
Re:年賀状という (スコア:1)
>・いたる所を臓器移植
>・医学の発展のために解剖
受け入れ拒否が結構ある。
献体したところで、全身全部を使ってもらえるのはマレ。
>10万程度で済むキリスト教の方がましだな。
キリスト教系でも、それなりのお値段になることもあるからね。
特に、墓は墓地をどこにするかで、結構差があるね。
Re: (スコア:0)
嫁や嫁のご両親が花嫁姿が見たいと思っていても、
あんたはそんな屁理屈こねて、しないわけ?www
自分にとって大事になる人々に対しても、
ちょっと折れたり報いてあげたり一切せんの?www
すげぇや、あんた岩から生まれてきた孫悟空かよww
Re: (スコア:0)
草を大量に生やしてなぜ煽っているのか分からないが
他人のやることに口を出して止めると書いてあるわけじゃなく自分のことだな。
それとも冠婚葬祭の習慣を世界から撲滅するための活動家だと深読みしちゃったのかな^^
Re: (スコア:0)
中学生の頃ですけども。
Re: (スコア:0)
> 年賀状も同じですね。クリスマスカードみたいなものじゃないですか。
> オウム真理教や創価学会のようなところのイベントと同じだと思っています。
> 人数が多くて伝統化しているだけで。
> 心が弱くて縋りつきたい人間か騙されているか
> 習慣から抜け出せない保守派か騒ぎたいだけでしょう。
私も、中学生~高校生くらいの頃「人と一緒のことはしたくない」という思いからこういった伝統行事っぽいものに反発していた時期がありました。
社会人になった頃には「大人の対応とし