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吾輩はリファレンスである。名前はまだ無い -- perlの中の人
コンピューターのデバイスで見ると (スコア:1)
ネットワークでは、確かに大きな寄与があったことは
間違いないと思いますが、コンピューターを構成したり、
接続したりする各種デバイスのことを考えてみると、
特に、この先、出てくるであろう新しいデバイスについては、
Windowsの事を考えずに作られるものは、ほとんどないと思います。
一方、LinuxにせよFreeBSDにせよ、新しいデバイスに対応するのは、
Windowsでの対応ソフトが出揃い、デバイスをどう使うのかの
方法論が定着してしまった後というのが現実ではないでしょうか。
歴史的にどうだったかも考えてみました。
ペンタブ
あのね、 (スコア:0)
「単なる新しさ」は「技術の革新」とまるで関係ない場合のほうが多いんじゃないかな?
そりゃ、パソコンだけ触っていて、その世界しか知らない人だったら、「新しい」=「技術革新」に見えてもおかしくないけどね。ペンタブレットもアナログモデムも、大型のコンピュータ時代からあったものだよ。パソコンが出現する以前のお話。
あなただけが「新しい」と感じたものを、誰も彼も同じように新しいと感じているかどうか、という
たとえば、 (スコア:0)
でも、それを使った新しいデバイスとしての「青色発光レーザーダイオード利用の光磁気ディスク」は、その技術革新を使った「新製品」。そして、そのためのデバイスドライバは、きっと既存のものがそのまま使えるから開発する必要なし。
光として「青」は波長が短いので、より大きな記録密度を無理なく達成しやすい。だから大容量のものをつくりやすい。
きっと一般に広まるのはMicrosoftのOSのドライバが供給されてからでしょうけど、それは「新製品」というだけ。本当の技術革新には、この場合はMicrosoftがまるでかかわっていないでしょ。
一般消費者の元に届けられるものは「新製品」だし、それはたしかに「技術革新の賜物」なんですが、それそのものが「技術革新」じゃないんですな。
「Microsoftがその応用製品を作って広めた」というならわかるが、彼らが「技術革新」したわけじゃない。でもバルマーは「おれたちがやった」という「ウソをつく」から、こんなに攻撃される。つまり「他人のふんどし」なのにあたかも「自分のふんどし」と言って憚らないから、「ウソつき」と言われる。そういうことだよ。
もっとも、「応用製品を作って広める」こともそれは立派な事業だよ。だから「応用製品を広めたのは私たちだ」というように言えば、それはそれで問題はないし、それだけだってそれなりにたいした事業なんですけどね。ちゃんと本当のことを言えばいいものを。。。。
もっと外見ばかりじゃなくて、研究者や技術者がやっている仕事をわかってほしいな。