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UNIXはただ死んだだけでなく、本当にひどい臭いを放ち始めている -- あるソフトウェアエンジニア
「生甲斐なのか?」と小一時間(以下略 (スコア:2, すばらしい洞察)
大抵の場合、議論のための議論では相手の主張(の一部)が気に入らないからと言う理由(かどうかは兎も角)で相手の主張に対する反証を並べ立てたり、否定的な意見をあちこちから引用して来たり
特にWeb上ではソースの提示が楽ですし
で、主張した側もムキになって更にその反証を提示して…まあ俗に言う泥仕合ってヤツで
一番良いのは双方が「これは自分の意見であり、自分の
Re:「生甲斐なのか?」と小一時間(以下略 (スコア:0)
本人は否定するんだよな、これが。
議論しない人もいる (スコア:3, 興味深い)
「本人は否定するんだよな、これが。 」
ふむふむ。否定してあげよう。
議論を嫌う人,やらない人もいます。たとえば,私なんかの場合。
一つのストーリーに対する投稿は,たいていコメント一個だけ。ついたコメントにリプライを返すことも,ほとんど無し。しても,どなり返してたりとか(G7さん,ごめんね)。つまり,私は議論なんかしないわけです。いいっぱなし。揚げ足取りなら,応えるだけ面倒だし。自分の意見が必ず正しいとも思っていないから,反論する気もない。たまにやると失敗するし。
斜点是不是先進的先端的鉄道部長的…有信心
Re:議論しない人もいる (スコア:1)
自分の名前で検索したら、覚えのない(笑)でhitしたのでビックリしたんですが、
貴方、誰でしたっけ?(^^; まぢ覚えてないんで…
#いや、どうも不幸な話らしいから、いちいち自己紹介してくださらんでもいいですけど。
##逆にいえば、嫌がらせのために自己紹介するという手もあるが(笑)
うん。スラドで俺は議論だか読むだかをしたいのであって、人の名前(と所業)を覚えることを目的とはしていませんから(笑)、
余程のこと(?)がない限り覚えないですね。はい。
てゆーか、うざいから、この面についてはみんな俺を見習って欲しいぞ(藁
Re:議論しない人もいる (スコア:1)
わはは。よく気がついたね。
ふつう「余程のこと」しなきゃ,どなりかえしたりしません。
発言スタイルは,人それぞれですが,G7さんと私ではちょうど好対照といえるかもしれませんね。このストーリーの私のコメントは,これを含めて2個,G7さんは・・・ 24個以上。多いよね。
ほかのコメントで,どういう議論があったのか,ちょっと読む気になれませんが。私は,なるべく新しい視点もしくは論点を提供することを心がけているので「正しい」かどうかは,さほど重要でないです。
そういう,
斜点是不是先進的先端的鉄道部長的…有信心
Re:議論しない人もいる (スコア:1)
いやー。余程かどうかの解釈は受け手に委ねられてる面もかなり有りますし、
貴方が「ふつう」という語を(この文脈で)使うのが丁度良い人なのかどうかも俺は存じませんのでm(__)m、
そこらへんについてはなんとも言いようがないですぅ。(に、にげろー
#余程のことがあって怒鳴ら「せた」のかも(に、に、にげろー
>これを含めて2個,G7さんは・・・ 24個以上。多いよね。
いや、単に、久々に暇になったんで「今日はスラドの日っ!」と思って書いたです。
あと、この大変気になるトピ(笑)が出来てるぞという話を丁度こないだ某所で聞いたってのもあります。
#ここんとこ暫くは、眺めてもいなかったんで>スラド
#あんまり一気に書いたんで、自分の最近の書き込み一覧が、溢れてしまいました(笑)
>ほかのコメントで,どういう議論があったのか,ちょっと読む気になれませんが。
よまんでいいです(笑)。個々の発言に対して「反応する」という書き方の場合、
1人の人から見ればそりゃ「無駄」なものは多くなるのは当然でしょうね。
同じ系の意見に対する「反応」は当然のように同じようなものになり、それは冗長ですから。
#複数のコメントを親コメント(多重継承?)としてコメントを書けたら良いのだが、そういう面ではスラドも古典的スレッド掲示板に過ぎませんね。
#多重継承が出来れば、複数のコメントに「いちいち反応」しつつ実体の文は「1つで済ませる」が可能になるのですが…惜しい。
>そういう,「新しい視点を提供する」という立場からいえば,2個目のコメントは,新鮮味も落ちますし,自分の1個目の発言と比べれば,やはり出来が落ちてくるものです。
出来が落ちるかどうかは全然別問題だとは思います。「自分から見て」の「(自分の文へ抱く感覚の)きょーれつさ」
という意味では、確かに新鮮であるほど強烈なんで、「良いものであるかのように感じる」ことは
我が身を振り返ってみても多いですね。それだけ。本当に(≒他人様から見て)良いかどうかはあくまで別です。
>そのため,自分の発言を読んでもらうために,投稿数を増やすという戦略は,効果的ではないと思っているわけです。
ふむ。逆にいえば、どの文章もそれを"初めて"読む人から見れば初めてなので、
それは"読んでもらう戦略"というよりも"気分良く書くための戦略"という気がしてしまいます。御免。
#俺の多産も、そういう意味では所詮は「気分良く書く」戦略でしかないわけですがm(__)m
まあ、書く内容にも依存する問題かも知れませんけど。
ファーストインプレッションとかを書きたい場合は、自分でも慣れきっちゃってると辛いね、とか。
どんな文でも「(自分または周囲にとっての)新鮮さ」が命、とは限らないんで、まあ。
>私が定義するなら,議論している方々の知らない「何か」へのアトランダムな探索活動。というところでしょう。その「何か
>」は,高い位置にあればあるほど良い議論である。ということになります。
すばらしい!
特に「高い位置」ってのが良いですね!
なんせそれは(非常に頻繁に)「メタ」を意味するのですから!(藁
#まあ、真のOOP者にとっては上下なんて概念は無く、ただ繋がりが有るだけだ、と言うべきなのだそうですが(笑)
というわけで、
>いわゆる「議論のための議論」が,議論として高く評価されないのは,そもそも目標としてる山が低すぎると,言い換えられ
>るかもしれません。
俺は、そもそもその解釈が、たぶんに誤解なんじゃないの?と思っているわけです。
本当にソレが議論のための議論であるならばの話ですが、それは本来「高い」ものであるはずです。低くない。
どちらかというとこれは、俺が好んで使う表現である「具体馬鹿」という心理状況(?)が、問題なんじゃないかな。
つまり、低い卑近なもののほうを却って高く評価してしまいたくなる「誘惑」、に負けてしまう人の心です。
人間にはどうもコレがかなり強固に備わっているようで、そのせいで評価の逆転現象を起こしてしまってるのではないかと。
余談:
少なくとも、メタを馬鹿にする人には、ソフトウェアは作って欲しくないですね。
具体馬鹿な…つまりメタ化や抽象化のロクに成ってない…糞プログラムを作るのがオチですから。
Re:議論しない人もいる (スコア:1)
なんせそれは(非常に頻繁に)「メタ」を意味するのですから!(藁 」
面白いだろ?
こいつのミソは,高さを「メタ度」とも「正しさ」とも定義していないところにある。ようするに「何か」が出てきたところで,そいつを支点にして「高さ」を測るようなものです。
だから,とっても探索的になるわけだ。
斜点是不是先進的先端的鉄道部長的…有信心