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雑音に意味があるから、そちらに注意が行ってしまうのではないでしょうか。音楽だったり、言葉だったり。あるいは、ふだん静かなところに足音がすれば、それは「誰かが来た」ということを意味しますし。一方、ふだんから雑音があれば、慣れてしまって気にならないのではないかと思います。
東大阪市で町工場に囲まれて育った経験に基づく意見です。ADHDの場合も同じかどうか分かりませんし、大人になってからそういう環境に置かれて慣れるかどうかも分かりませんが。
昔、川のそばのアパートに住んでたことがあります。ちょうど堰のある所で絶えず水の落ちるザーという音が鳴り続ける環境。引っ越してしばらくはその音が気になって仕方がありませんでしたが、そのうち気にならなくなりました。
同じ調子で鳴り続けている音は意味のない音としてそのうち脳がカットしてくれるようになります。
対して、突発的に鳴る音、例えば電話の音や隣の騒ぎ声、階上の足音や表を通りすぎる車の音など、そういう、不定期に鳴る音は慣れようがない気がします。少なくとも自分は。
片方の耳が聞こえないせいか、音に対して反応できたり出来なかったりで子供の頃は「勝手つんぼ」とかさんざん言われ続け、ちょっとした音でも聞き逃すまいという、強迫観念みたいなものがあるのか、どうしても音が鳴った方に注意がいってしまうんですよね。
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人生unstable -- あるハッカー
絶え間ない意味のない雑音に身をゆだねる (スコア:0)
雑音に意味があるから、そちらに注意が行ってしまうのではないでしょうか。
音楽だったり、言葉だったり。あるいは、ふだん静かなところに足音がすれば、
それは「誰かが来た」ということを意味しますし。
一方、ふだんから雑音があれば、慣れてしまって気にならないのではないかと思います。
東大阪市で町工場に囲まれて育った経験に基づく意見です。
ADHDの場合も同じかどうか分かりませんし、
大人になってからそういう環境に置かれて慣れるかどうかも分かりませんが。
Re:絶え間ない意味のない雑音に身をゆだねる (スコア:0)
昔、川のそばのアパートに住んでたことがあります。ちょうど堰のある所で絶えず
水の落ちるザーという音が鳴り続ける環境。引っ越してしばらくはその音が気になって
仕方がありませんでしたが、そのうち気にならなくなりました。
同じ調子で鳴り続けている音は意味のない音としてそのうち脳がカットしてくれるようになります。
対して、突発的に鳴る音、例えば電話の音や隣の騒ぎ声、階上の足音や表を通りすぎる車の音など、
そういう、不定期に鳴る音は慣れようがない気がします。少なくとも自分は。
片方の耳が聞こえないせいか、音に対して反応できたり出来なかったりで子供の頃は「勝手つんぼ」
とかさんざん言われ続け、ちょっとした音でも聞き逃すまいという、強迫観念みたいなものがあるのか、
どうしても音が鳴った方に注意がいってしまうんですよね。