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「自分の描いた下手な絵を他人に見せて、ここが悪いあれが駄目だ下手だと言われる事に耐えて、上達しようとする人」が相手である事が、議論が成立しうる最低条件。
議論で説得したい相手が誰なのか、によるんじゃないでしょうか。
相手が壊れた蓄音機でも自分の論を強化/修正する材料にはなるし、 実際の議論する相手は周辺で見ている人のケース
というわけで、みんなのためにする議論なら、最低条件なんて関係なく、自分のためにする議論なら、駄目な相手はさっさと見切りをつけるべき、と思います。
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長期的な見通しやビジョンはあえて持たないようにしてる -- Linus Torvalds
「生甲斐なのか?」と小一時間(以下略 (スコア:2, すばらしい洞察)
大抵の場合、議論のための議論では相手の主張(の一部)が気に入らないからと言う理由(かどうかは兎も角)で相手の主張に対する反証を並べ立てたり、否定的な意見をあちこちから引用して来たり
特にWeb上ではソースの提示が楽ですし
で、主張した側もムキになって更にその反証を提示して…まあ俗に言う泥仕合ってヤツで
一番良いのは双方が「これは自分の意見であり、自分の
Re:「生甲斐なのか?」と小一時間(以下略 (スコア:1)
「議論は他人を攻撃するためにするもんじゃなくて、
互いの論理を戦わせてより良い結論を出すためにするべき。」
建設的な議論をす
Re:「生甲斐なのか?」と小一時間(以下略 (スコア:1)
それもそうですが、同じ事は上司やら教師やら親やらに言えること。TVタックルの肯定論者vs否定論者の議論とかも。
すべて、なんらかの"立場"の上で物を考え言っているから、認識を改めると言う機会が発生しない。
この手の人間は「自分の立場を肯定する」という原理のもとに動いているので、一通り言い分を聞いたらもう用済み。議論をしようと思っても、相手は論理の改善には手を貸してくれない壊れた蓄音機なので、無駄。
例
Re:「生甲斐なのか?」と小一時間(以下略 (スコア:1)
議論で説得したい相手が誰なのか、によるんじゃないでしょうか。
相手が壊れた蓄音機でも自分の論を強化/修正する材料にはなるし、 実際の議論する相手は周辺で見ている人のケース
の
Re:「生甲斐なのか?」と小一時間(以下略 (スコア:1)
自分が(少なくとも相手の論に勝る)まともな事を言いさえすれば、相手が駄々っ子でも聴衆は説得できますから。
ただし、自分の認識を改めるために議論をするというならば話は違います。
壊れた蓄音機は材料にはなっても論の再構築を手伝ってはくれ
俺専用栞 (スコア:0)
……という新たな知見を得たぞ。