「学力」とは何か? 340
ストーリー by wakatono
読んで字の如しじゃないのか? 部門より
読んで字の如しじゃないのか? 部門より
Futaro 曰く、 "asahi.comの この記事 によりますと、日教組の教育研究集会で「学力とはなにか?」という議論があって、これが参加者がてんでばらばらなことを言っていてまとまらなかった、とのこと。たしかに、いまや学力とは言っても、「学者」じゃない人が「ノーベル化学賞」取る時代です。学校の成績がよかったから、といって、大企業に入れたから、といって、リストラ対象にならない時代でもない。実際、アレゲ仕事の現場では、昔から学歴ばっか高くてまるで仕事のできないボケもたくさん見るしね。さて、/.Jのみなさまが考える「学力」とは?"
学力ってのは、読んで字の如しだと思っているのだけどなぁ…。なんか、元記事を読む限りは、あらゆることを「学力」の二文字に集約しようとしているように見えてならない。さて、みんなはどう感じてるかな?
私の考える学力の定義 (スコア:4, すばらしい洞察)
そういった、いわば基礎体力のようなものは学んでいても楽しくないものです。だからこそ、強制力が必要になるのだと考えます。それを「児童の自主性に任せる」だの何だの……。国を潰す気かと言いたい。
学ぶ力 (スコア:2, すばらしい洞察)
学ぶ力の低い人ってたまにいますよね。
・何度教えても同じ事を聞いてくる人
・人から指示されないと動けない人
・失敗を繰り返す人
・人の話、意見を聞かない人
自分がエリートだと思っている人で、これに該当する人はかなり多いと思う。
Re:学ぶ力 (スコア:2, すばらしい洞察)
Re:私の考える学力の定義 (スコア:1)
「考える」には知識も必要。いまの教育を見ていると、知識を否定してまで独創性「のみ」を追っかけているようにも見える。「考えること」と「考えるために必要な知識」は教えるべきだと考えてます。
Re:学力=知識+something? (スコア:1)
>ある種のパズルのような物以外思いつくことが出来ません。
こういう出題はどうでしょうか。中学時代の数学の宿題から引用します。
#図形の面積の定義くらいは前提ですよね。 知識が無いことを前提とするのではなく当人が既に持っている知識だけを前提とするのなら、「知識を前提にしない知恵」を評価することになると思います。
Re:学力=知識+something? (スコア:2, すばらしい洞察)
#それはさておき。
知識として教えるのならどんなに難しい内容でも可能ですが、 進化論や近現代史と世界地理程度まで教えれば充分だと思います。 それに、読み書き算盤のような技術も教えるべきです。
しかし、それらは生活に必要な知識としての例です。 問題の解決能力は高めるためには、ある程度は生徒自身が修練する必要があります。この場合には思考のヒントを出したり、生徒自身が考えた解法が間違っていればその間違いを修正したり、そういった補助的な手法によって教えるしかないと思います。
前述の「図形の面積に関する問題を作り、それを自分で解け。」という出題に対する回答例を挙げてみましょうか。どれも昔は図形の面積から求めていた問題です。
A.「直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺をそれぞれ二乗したものの和に等しい」(ピタゴラスの定理)を証明せよ。
B.円周率を小数点以下5桁まで求めよ。
Re:私の考える学力の定義 (スコア:1)
Re:私の考える学力の定義 (スコア:1)
よく現れているコメントですねぇ
(I can't get no) satisfaction
教育と調教 (スコア:1)
子供はまだ人間じゃないんですから。
んだもんで、その調教無くして人間社会はありえないわけです。
机に一定時間文句も言わずにかじりついていられるだけの忍耐力を養う、
別のいい方をすれば忍耐力を持った個体を選別する、それが学校です。
#忍耐力のある個体は高等教育へ。ない個体は労働力へ。
>強制の要らない国を建てますから。
子供の夢見る楽園ですな。一週間は日曜日と木曜日からできていて、木曜日はお休み。
実にすばらしいものですが、小学校を卒業して一年以上経った人間が口にしてよい種類の
願望ではないと思います。
Re:教育と調教 (スコア:2, 興味深い)
>子供はまだ人間じゃないんですから。
>んだもんで、その調教無くして人間社会はありえないわけです。
これには同意です。でも、調教する義務を負うのは学校ではないはずです。
本来は親が調教(躾ともいいますね)すべきなのに、その義務を学校に押し付けているわけです。
現在の小学校の教員の方はババ引かされているように思えます。
後ろ向き民族 (スコア:2, すばらしい洞察)
なんでこういう後ろ向きな人が日本には多いのでしょうか。
日本を運営している人たちは、世界的に見ても優秀なほうに入ると思っているのは日本中で僕だけでしょうか。
もちろん、悪い部分はたくさんあるので、さらによいシステムを作るための努力をしなければなりません。
そのためにも、国民には、いろいろな情報を自分で理解するための知識と理解力が必要です。考えた方は人それぞれでよいですが、知識は多くの人に共通するものでなければなりません。学校は「知識」を教えるところですから、共通の試験を用いて、各自の知識と理解力の度合いを図るのも妥当でしょう。
ある日目が覚めたら「本当の自分」が見つかるはずなので、それまで努力はしません、という若者がえらい増えている気がします。
# 論点がぼけてしまいました。すいません。
Re:私の考える学力の定義 (スコア:1)
なんでそうなるのさ
国が潰れる、という言葉の定義にもよるけど
A)政治システムが崩壊する
→「カス」の運営する政権が「カスじゃない」による組織に代替される場合ですな。クーデターとか。この場合社会の大多数は「カス」ばかりなので「カスじゃない」だけが残る国を作りたかったら血の大粛清をするしかないです。バナナ畑の肥やしにするとか。カンボジアでポル・ポトが何をしたか?その結果あの国がどうなったか?
B)経済システムが崩壊する
→国全体が食うや食わずというところまで追い詰められます。粛清するまでもなく人がばたばたと死にます。「カス」も「カスじゃない」もおなかがすいたら等しく死ぬのです。学ぶことができる人間でも学ぶ機会がなければおなじことです。
要するに国がどんな形で潰れようと「カスじゃない」だけが生き残ってあとが死ぬ、なんて都合のいいことにはならないし、仮にそうなっても「カスじゃない」を自称してるだけで実質どうよ?てなことになるのがオチ。
クラブ活動でサークルつぶして新しいのを作るみたいな話だと思ってるんだとしたらばかばかしいことこの上ないね。
Re:私の考える学力の定義 (スコア:1)
やろうとして大失敗したのが共産主義国。
Re:私の考える学力の定義 (スコア:1)
Re:私の考える学力の定義 (スコア:1)
そうなのかな?
技術とかを支えてる人たちは確かにそうかもしれない。
でも“国を動かす”人たちは?
たとえば、表立って動いてる“政治家”たちって、そんな環境にいた人たちなのかなぁ?
裏で動いてる“官僚”は確かにそうかもしれないが、彼らの場合はむしろ職に就いてからいろいろ“学んで”いるような気がする…
これまでの人生を顧みて (スコア:2, すばらしい洞察)
そのままやん・・・
ようするに、ある人が単位時間当たりに習得できる知識や技能の量でしょうか。例えばテストの点数も学力。皆に同じ時間が与えられて、ある決まった科目の点数を競う訳ですから。
もっと簡単に言うと、要領の良さとか、物分かりの良さとか、そんな感じなんじゃないのかなぁ。
ですから、習得できないもの、例えばセンスとかは、学力には影響されない訳ですね。
センス (スコア:1)
「センスのいいもの」を見たり聞いたり感じたりすることを繰り返すことで
センスが良いということがなんとなくわかってきて
センスが良くなるんじゃないかと。
>ある人が単位時間当たりに習得できる知識や技能の量
たとえば1年間「センスのいいもの」を見たり聞いたり感じたりすること
で、センスがちょっと良くなったとしたら、センスもまた学力に入るかも。
Re:センス (スコア:1, 参考になる)
>>センスが良くなるんじゃないかと。
それでも良いんだけど、あまりにも現在では効率が悪すぎます。
ほんとに理解している人なら、センスとか言う曖昧な見せ方ではなく、根本の原理をピシッと教えれるんですけど。
#こう言う人に出会うと、人生変わりますね。
もちろん、学校の先生全員が担当教科範囲内を完璧に理解出来るかって問題はあるんだけど、自分がどこまで理解しているか理解できずに教えるってのは、先生も生徒もかわいそうなんだな。
社会に出てからは、こうした根本をいかに効率良く洗い出せるかで、新しい技術や、理屈への対応速度が決まると思う。
判らない所は、著名な人間の原書にあたれば良いんだし。
実際、世の中に氾濫してるマニュアル本(すぐ使える~とか言うタイトルが多い)の内容なんて、内容がまったくなくて飽きれる。
ちょっと原書の目次を辿るだけで、技術の骨格が理解出来るように書かれているのに、それすら出来ない人間ってかなしい。とか、言ってみるテスト。
Re:センス (スコア:1)
> ほんとに理解している人なら、センスとか言う曖昧な見せ方ではなく、根本の原理をピシッと教えれるんですけど。
御意。
しかし、「具象的な物事を抽象的な概念に昇華させる力」を身に付けることは他の分野にも役に立つのでは無いかと思います。
# 苦労は買ってでもしろと言う事かな。
メタの概念がある人とそうじゃない人の差は大きいと日々思います。
「CはわかるんだけどJavaはちょっと」と言う人に対して
「CもJavaも同じじゃん」と言う人
効率的な学習が出来るのはどっちだろう
# もちろん、セリフの局面によりますが(^^;
Re:センス (スコア:1)
経験や知識、思考力といった「伸びるもの」で補強しているのではないですか?
センスって、それを超越したものだと思うんですけど。
#センスが無きゃだめといっているわけではなくて、
#センスが無きゃ努力すべしということです。
Yu-sk
Re:これまでの人生を顧みて (スコア:1)
> そのままやん・・・
>
> ようするに、ある人が単位時間当たりに習得できる知識や技能の量
学ぶ力 と 修得した量 とは関係ないではありませんか。
加えて、単位時間当りの量は 無意味ですね。小学生が 9x9 覚える速度と 10才を超えて 意味記憶よりエピソード記憶が優勢になった人では前者のが速い。また、小脳を通した技能の記憶では繰返した回数や期間、量で決まるから、単位時間の概念すら通用しない。
Re:これまでの人生を顧みて (スコア:1)
学力だけでなく、『自ら問題を発見する能力』を育てることが必要だと言いたいのではないですか。
(と勝手に決め付ける)
何かを学ぶ前には、何を学ぶべきかを選び取る判断力が不可欠だと思いますが、
それが子どもに要求される能力かと問われると怪しい。
#記事を見るとテーマが『子どもに求められる「学力」とは何か』らしいので。
本音の学力 (スコア:2, 興味深い)
Re:本音の学力 (スコア:3, すばらしい洞察)
世間が「学力」と見なしているものが、(個人的に嫌いな表現だけど)一般常識で言うところの「学力」でしょう。
かつてはそれが「通信簿の成績や入学試験の得点」が指標として用いられてきたから、「通信簿の成績や入学試験の得点」を高くする力が学力と思われてきた。そして、「通信簿の成績や入学試験の得点」が高いと、「幸せな将来」も約束されていた。(つまり、ほぼ矛盾はなかった)
現在は、「通信簿の成績や入学試験の得点」が高くても「将来の幸せ」なんて保証されないし、たいした自慢にもならない(笑)。
だから「(従来の評価手法による)通信簿の成績や入学試験の得点」=「(従来の)学力」に疑問が生まれているじゃないかな。
アレゲ人間にとっての「学」とは? (スコア:2, 興味深い)
せっかく/.なので、アレゲ人間にとっての「学」とは何か、考えてみましょう。
例えば
- VAXのブートローダのコードを暗唱している人
- 何かのdumpを見て、読める人
- 機器の仕様書無しでデバイスドライバを書ける人
- 「S式」な人々
なんかは私にとってアレゲ学修士以上です :-O
Re:アレゲ人間にとっての「学」とは? (スコア:1)
無粋なツッコミ (スコア:1, すばらしい洞察)
16進での入力はデバグ中にはザラでしたが、さすがにテンキーでは
いれたことが無いような。
#「LD A,55H」を「62、85」とは暗算で翻訳できない(^^;
あ、PC-8001とかのテンキー部で/-+*[HOME][INS]とかをA~Fに
読みかえる入力ツールってのはありましたよ、ね?
で、これからどうするの? (スコア:2, すばらしい洞察)
例えば、新しい理論や技術を生み出す土壌というのを考えると、
0. 知の吸収と創造
他の人も述べているとおり、基礎的な部分が無いとどうしようもない。あと、自分でトピックを探して本を読めるだけの忍耐と国語力(英語力の方が有用かな)。あと、教科書丸暗記だけじゃなくて、答えを自分で考え出せる能力。
1. 知の多様性と寛容
あと前提は現時点で金にならない分野への寛容と、色んなタイプの人間がいることへの寛容。全員詰め込みタイプとか全員独創(独走)タイプとか多様性が無い土壌ってのはちょっとした時代や環境の変化に適応できない。
2. 知の協調と寛容
色んなタイプの人間がいる時に、それぞれの知をいかに協調させるか、その方法を欠いてると意味がない。競争と点数だけが全てではなくて、知を他人に説明し、また他人の知を受け入れたり時には議論しあえる能力が必要。
3. 知の工学
合成された知をいかに現実社会に応用させるかという工学的な視点も大切。もっと言うと、その技術を社会に受け入れられる形で分かりやすく提供してビジネスにしていく野心とそれを受け入れられる環境。
僕は専門家じゃないので、素人考えですが、多様性への寛容などは必須だと思います。で、行き着くのは個という概念の形成になって、そういうことをすると困る人も多いのかもしれません。
# 社員が肩書きで呼び合っているうちは知も個も無いと思うのは僕だけかな。
で、どうするの?って思うんですが、やる事多すぎて「ゆとり」とか言ってる暇無いような気がするんだよな。毎日塾行って、週末も古代日本史を意味も無く暗記したり、数学ばっかりやってて、学力に一番大切な好奇心ってのを育む暇も無いってのはアホすぎるとしか言いようがないけどね。
「では人間とは何か」と言われたりしないのだろうか。 (スコア:1)
この人が一番言葉にこだわってるんじゃ?
Re:「では人間とは何か」と言われたりしないのだろう (スコア:3, 興味深い)
教育に必要となってきたのか?ということについて
聞いたことがあります。
「かつては、勉強して、進学して、就職して、働いて、
生活して、結婚して、子供ができてといったような
幸せを普通の人が普通にしていれば誰でも享受できていた。
国もそれを保障する事ができていた。しかし今ではそれが
できなくなった。そこで個々人で「幸せを見つける力」(=よりよく
生きようとする力?)というのを教育で教える必要性
というのがでてきた」
いわれてみてなるほどと思った私は教育学部・・・
価値観の多様化した現在、普遍的な幸せというのも
また定義しづらいと思います。
「幸せの形もまた、人の数ほど存在する」
Re:「では人間とは何か」と言われたりしないのだろう (スコア:3, すばらしい洞察)
まず、辞書的な意味だけが言葉の意味ではないのは当然ですが、「学力」という言葉そのものには「系統的な学習によって獲得した能力」という辞書的な意味があります。
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?t=o&d=all&p=学力
それに対して、この元記事は「学校で身に付けるべき能力」として使っているように思います。このような二次的用法を強調した結果として、語義を離れた議論が行われている場合には新しい言葉の定義も有効だと思います。
#ただし、この「人間力」という言葉とその定義は字義との関連が薄く、各自にとって都合の良い読み方ができるものになっています。#その点で「学力」よりも議論を混乱させる可能性が高い造語なのですが、それ自体は論点との関係がありませんね。
しかし、そもそも「(単語)とは何か」という形式での議論では論理的な反駁が不可能ですから、各自が標語や警句に似た題目を挙げるだけになりがちです。せめて、「学校教育に期待されている役割は何か」や「教員に不足している技能は何か」等、個別の意見を検討できる議論をしませんか。
Re:「では人間とは何か」と言われたりしないのだろう (スコア:1)
余分な事だが、このコメントのような議論とそれを理解できる能力こ そ学校教育に求められるのではないか。
Re:「では人間とは何か」と言われたりしないのだろう (スコア:1, すばらしい洞察)
つまり、「学力」の定義について議論することは、 じつは中身を議論することなんです。 で、それをせずに新しい言葉を考案することは、 まさしくご指摘の通り、中身を議論せずに言葉だけの議論をすること になってしまいます。
シンポジウム (スコア:1)
ま、陳腐な議論ではあるが (スコア:1)
もっとも、学力そのものの定義なんぞ、もともと決まってもいないわけですがね
測定法や測定者によって定義なんぞ、いくらでも変動するわけで
ま、死ぬ直前になって、そいつが成功してたのなら、妥当な能力を持っていたと定義していいのではないかと?
ですが (スコア:1)
それも学力の定義によりますが、学歴を得るためにある種の能力が必要ということは言えるのではないでしょうか。もちろん確率的にですけど・・・
Re:ですが (スコア:1)
まぁ、いずれにしても、入社後、努力できる人と、学歴にしがみついて、先に進めない人とでは、差が出るのでないかと?
個人的には、途中経過(学歴や会社とか)なんぞ、どうでもいいから、死ぬ直前の最終結果が上々なら不満はないんですけどね
(死んだ後、周囲に惜しまれるのなら、低学歴でも構わないかなぁ、つか逆にそうありたいものだと思う。従兄弟が自殺した時、葬儀にたくさん人が集まって泣いてるの見て、よけいにそう思った。ま、私の場合は誰も泣かないだろうけど)
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:1)
でもそこでとまっているわけにはいかないわけですよ。遅くても何もしないよりはましだと思うわけです。
(I can't get no) satisfaction
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:1)
中卒時点で、英語はすこしは話せるようになるべきだし、法律とか簿記とかそういうのも教えた方がいいのじゃないか。
学問的な学問は、高校以後でやればよいのです。
そうすれば、学力とは何かなんて、考える必要も無いし。
問題は、教員の多くは、大学出てすぐに教員になった、「社会経験の無い」人ばかりで、社会的に実用とされるものは何かが分からないのではないかということでしょう。
社会経験のある人をたくさん中途採用すればいいのでしょうけど。
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:1, 興味深い)
大反対ですね。激しく反対。頭の柔らかいときに、そういういつでもできるようなことをやらせるべきじゃない。簿記や会計なんて、それこそ企業に入ってからだっていい。
小中学生のときには、リテラシーを中心とする基礎学力と、理科の実験やフィールドワークを中心とした「感性を磨く」こと。これは歳食ってからは絶対無理(時間の関係からも頭の柔軟性からも)。
加えて言えば、小中高でリテラシーの範囲外の「情報処理」を教えるのにも反対。
英語ができた方がいいというのはその通りだと思うけど。
これだけ「中流階級」が増えて、平均的な学歴が上がってるときに、小学校卒業や中学校卒業に「職業的なテクニック」を教えてもムダ。かえって将来の可能性を狭めることになる。
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:1, すばらしい洞察)
えーっと、芸術系や体育も忘れないでほしい。実際にはこの辺こそが「人間としての基礎」でしょう。端的な実利はないけど。もちろん現在学校で教えられている美術や音楽などの教育内容に不備があったとしても成長過程において重要なのは間違いないでしょう。
でもこういうのは「学力」という言葉の範疇に収めにくいよね。
当たり前だけど「教育」という言葉と「学力」という言葉は短絡的に結び付けちゃいけないですな。
Re:「学力」という言葉 (スコア:1, 興味深い)
読んでいてハタと気付きました。(恥)
定量化できないものは学力に値しないのかー
なんだか悲しいです。(; ;)
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:1)
子供のうちに、感性とか言って、理論的・抽象的なことを教え、大人になってから、実学を学ぶというのは、無理があったのでは。
子供が抽象的なことを楽しく学ぶとは、思えない。
具体的で役にたつものを、系統的に教えていくことから、将来抽象的に考える思考能力が芽生える。
英語についても、文法なんて後でいい。
理科でも、理論は後でいい。実験をして、何か役に立つものを作れるほうがいい。
数学だって、例えば、確率について教えるなら、ゲームに勝つ方法にそれを使う方法を教えるとか。
そういうのがいい。
コンピュータについて学ぶときは、アプリの操作やそういうのから、OSやハード方面に入ったほうが分かりやすいじゃないですか。
そして、抽象的なことを、最も学べるのが、高校-大学でしょ。
Re:日教組の教育研究集会で「学力とはなにか? (スコア:1, 興味深い)
日教組が「末期的」かどうかという話しなら、「その通り」という
気がしますけど...
ともかく、この手の話って、結局言葉遊びでしかないですね。
エライ人達が「学力という言葉」の定義に合意したとしても、それだけでは何の役にも立ちません。
少なくとも、定義した内容で、それをどう向上させるかを考えるのが教員の仕事でしょう。
逆にいえば、そういう定義をしたいのであれば、定義は計測可能にしない限り、実際的な教育論にはなりません。生身の子供を教育して給料貰っているわけですから、結果を出せないような議論は無意味でしょう。
言葉の定義の段階で「タマネギの皮むき」と認識しているようではどうしようもないです。
素人談義なら受験や試験結果だけで子供の能力を計ることを拒否する事を前提に「テスト結果だけがすべてじゃない」という命題から始まって、「学力(学力テストで計れるような学力)だけでは計れない」→「現在の学力の定義が間違っている」→「では何なら正しいのか」というような方向ですすんで結局堂々巡りしたりしますが。
私の(素人談義な)定義では、
・課題を認識し、その中から重要な部分を抽出する能力
・抽出した課題を解決する能力(既得)、あるいは新たな問題解決方法 を探索する能力
を定量化したものかなあ。
#具体的にどう定量化すべきか分かっていないけど。
#子供がいるので分かっていないというのも拙いけど、教員がこれじゃ、なのでAC
Re:偏差値教育的解釈だと… (スコア:1)
自分で言ってる意味分かってる?
Re:よく知らないことには口を慎む人々が(スコア:-1) (スコア:2, すばらしい洞察)
その通り。教育ほど、専門の勉強をしていなくてもそれらしく語れる分野はそうありません。
例えば社会一般のニュースや、もちろん slashdot ならテクノロジー系のニュースについてはソースを確認しろと口を酸っぱくして言うくせに、教育の話になると出所をまったく確認せずに「今の教育は…」と簡単に言ってしまう。なぜか言えてしまうような雰囲気を持っているんですな、この分野は。単に自分は教育を受けたことがあるだけで、教育について何かが分かっているじゃないのにね :P
# 「フレームのもと」かな?
統一見解 (スコア:2)
いや、結構まじめな意見なんですがね。
ま た - 1 か
Re:勉強が面白いわけありません (スコア:2, すばらしい洞察)
おいらはそう耐えてると永遠に苦痛は消えない気がします。
面白い仕事も他人にしてみれば苦痛に過ぎないし、
嫌な仕事も実は面白い仕事かもしれません。
「嫌な事から面白い事を発見する力」これでは無いかな?
逆に「面白い事から嫌な事を発見する力」も必要。
嫌な事ばっかりだと鬱になるなあ。
最近嫌な事ばっかりだ・・・。
Re:簡単です (スコア:2, すばらしい洞察)
ってとこかな?まとめちゃうと
ただ好きなだけ勉強できればいいひとと
ただ他人に認められたくて好きでもない勉強してる人と
いろいろといるわけだ
前者は勉強できた時点で自己満足できるからそこで完結
後者は他人に認められるまで自己満足できないから完結しない
ってとこかな?
でも下心ってのはどうだろう?
自分にとって都合がよろしくない場合は下心に見えるかもしれないけど、結局は自己満足したいだけなんだよね
Re:突き詰めると (スコア:2, 興味深い)
ポールマッカートニーが同じことを言っていた気がする。学校か何かの宣伝だったかな。
突き詰めると私も結論は同じところにいきます。その手前だと「資格を得るため」かな。自分の入りたい学校にしろ、研究施設にしろ、企業にしろ…入るためには資格がいる。資格なんてなくても生きて行けます。でも、何か行動を起こそうとすると必ず求められます。